赤門鉄声会幹事会に参加する。

27日18時30分から、ZOOMで赤門鉄声会(東大応援部OB・OG会)の学年幹事会があり参加した。30名以上の参加者だった。 幹事会は5月に開催される総会の議題を学年幹事たちが事前に揉んで、当日に備えるものだ。

鉄声会のリアルでの会合は、2年前の2月の幹事会が最後だった。幹事会をはじめ、総会や祝勝会や応援部現役の新人歓迎会も全てこの2年間はZOOMで行われている。 神宮球場での応援もずっと外野席だった。今春はどうだろう。何とか内野の応援席で行いたいものだ。

幹事会が終わり、その後は希望者が各部屋に分かれて懇親会をする。それが終わると、まだ話し足りない人たちが残って懇親会の続きだ。最後は一桁になるが、20時過ぎまで会話は盛り上がった。

幹事会は現役部員からもオブザーバー参加がある。参加者は主将と主務、鉄声会総務(OB・OG担当)、鉄声会総務サブ(3年生)だ。

主将は杉田南実さん、東大応援部で初めての女性主将だ。赤門鉄声会会長も小池千佳子さんでこちらも初めての会長だ。
バンカラのイメージがある応援部は男子の専売特許だと思われがちだが、応援部はリーダーと吹奏楽団とチアリーダーの3パートで構成されており、現役部員は女性が圧倒的に多い。
私の時の男子オンリーの応援部とは全くの様変わりだ。21世紀は女性の時代であり、それは応援団がリードしていくのが、応援団の趣旨として当を得ているのではないかと思う。

そして、OB・OG担当の鉄声会総務を目指してサブに手を挙げた準幹部(3年生)が吉田莉々さんだ。
吉田さんは、淡青祭や定期演奏会の広告掲出のお願いで私の事務所にも来られた。「応援部大好き」なチアリーダーだ。
6月4日(土)の私の第二生の出陣式にもチアリーダーとして参加してくれるだろう。
「女性の時代は東大応援部から」を合言葉に女子部員は頑張ってほしいと思う(男子も負けてはいられないぞ)。

「伝統」とは何か、が雑談の中で話題になった。
結論として「伝統」とは「応援への想い」なんだということだ。

井口一弘さん(前鉄声会会長)は、3Sスピリッツ(service、sacrifice、study)を忘れずに応援部活動をしてくれたらいいと仰っていた。その3Sスピリッツも時代に合わせて意訳したらいい。 私はOUEN Japanの3Sスピリッツを、
service=社会貢献、sacrifice=活私奉公、study=人生修養と意訳している。

すなわち、心=想いを忘れないことだ。
姿形は時代に合わせて変わって行っていい。芭蕉の茶の精神である「不易流行」ということだ。

小林 博重

生きることは、煩悩をコントロールして自利利他を極める こと

1泊2日の出張でも、特に移動が飛行機だと体調が回復するのに1日はかかる。
OUEN塾を軌道に乗せるために毎月平均で3〜4泊して福岡に出張していたのが数年前からだ。その時はそんなでもなかったが、古稀になったという気持ちのせいもあるのだろうか。体力が衰えてきていることを身をもって実感する。 第二の人生は丸坊主で生きようと剃髪を決め込んだのも、元はと言えばウォーキングの時、何気ない段差で躓いて頭を切ったことが切っ掛けだ。 自らを知ることは精神のことばかりではない。身体を含めた「自らの心身を知る」ということだろう。

ロシアのウクライナ侵略が収まらない。いずれの国の為政者も似たり寄ったりのところはあるが、世界を相手にする大馬鹿者はプーチンくらいだ。
日本の柔道に造詣が深いと言うから武士道精神の持ち主かと思いきや、とんでもない食わせ物だ。「〇〇ファースト」はトランプ前大統領のみならず小池都知事の専売特許だが、プーチンはその極みを行っている。

私は心から、「世界の為政者には『自利利他』の哲学を学んでもらいたい」と思う。「〇〇ファースト(自分が一番かわいい)と思ったら、それは相手を利する、相手の幸せを考え行動する『利他の心』を持つことだ」という『自利利他』の哲学を学んでほしいと思う。
〇〇ファーストを追求すれば自利利他になるのにそれが分からない。人間は欲望の動物だからと言って、それを極めることをすれば『自利利他』に行き着くのに、そのことが分かっていない。悲しいことだ。

改めて、稲盛和夫さんが仰る「6つの精進」を反芻する。

1.誰にも負けない努力をする
2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省
4.生きていることに感謝する
5.善行、利他行を積む
6.感性的な悩みをしない

毎日の剃髪(T字剃刀や電動シェーバーで剃る)は「毎日の反省」にはピッタリだ。
今まで毎日、髭は剃っていたが、髭を剃って「毎日の反省」をしたことはない。そんな心持ちにはならないが、やはり頭髪は違う。
頭髪は剃っても剃っても生えてくる「煩悩」なのだろう。髪は女の命とも言うが「髪は命であり、煩悩」なのかもしれない。

出家することは煩悩をなくすことではない。煩悩をコントロールすることであり、煩悩を世のため人のために活用することだ。
決して、煩悩に翻弄される為政者の真似はしてはならない。

小林 博重

2月の福岡・北九州出張を終える。

1泊2日の福岡・北九州出張を終え、北九州空港から帰路の途に着く。蔓延防止等重点措置期間のため、空港エアポートバスの運行本数は1時間に1本と少ない。小倉駅北九州空港行きバス乗り場で約1時間の待ち時間があり、このブログを書いている。

この2日間、なかなか中身の濃い2日間だった。
やはりビジネスの基本はリアルな触れ合いが基本だと改めて思う。webはあくまでもリアルの補完だ。それがゆえに、私の超アナログに価値があるのだ(この価値は私個人に属する属人的なものであり、私のビジネスは個人的な域を出ないことがネックではある。そのため、私はできるだけ生涯現役として長生きをする必要があるのだ。そうでないと多くの人たちにご迷惑をおかけする)。

北九州市若松の佳秀工業の寺本常務は2年前からスキンヘッドで、スキンヘッドでは私の先輩になる。そのためもあってか、急に親密な関係になった。
また、北九州市役所産業経済局の杉本課長は明治大学卒であり、東京六大学応援団のシンパだ。初対面の時だったろうか、東京六大学応援団連盟の60年誌か70年誌か、その中に私のことが一行出ているのを指摘され、「東大応援部の小林さんですか」と言われたのには大変驚いた。 「肝胆相照らす」と言うが、Heart to Heart の関係は付き合いの期間の長短ではない。人間を愛するという温かい感性を持っている人かどうかだ。

頭を切って縫ったのが2月4日、先週金曜日に抜糸して、今日は25日。20日以上が経った。傷跡はしっかりと残っているが、これが第一生と第二生の区切りの証拠だ。2月4日が命日であり誕生日でもある。2月4日(立春)は私にとって忘れることができない日になった。

そして、20日以上が経って丸坊主は漸くしっくりと私の頭に馴染んできた。
みなさん、半分お世辞とは思うが、人間が丸くなった、丸坊主は私に似合っていると仰る。これも私が運がいい証拠だ。第二生は素晴らしい人生になることだろう。

小林 博重

第ニ生は「自利利他のリードオフマン」を目指す。

第二の生は丸坊主で生きていこうと決めた。
丸坊主は私が自主的にそうしようと思って丸坊主になったものではない。たまたま、ウォーキングで躓いて頭を切ってしまったことで丸坊主にせざるを得なかった。
私はそれを「これが天の意志だ。天が私に何かを気付かせようと思われて私を躓かせたものだ」とプラス思考で思ったものだ。そして、私は「第二の生は在家で出家して、心を形で現そう。人間、生きることが修行であり、丸坊主はそれを形に表したものだ」と思うに至った。

すなわち、「心が形をつくり、形が心をつくる」
心と形は鏡のようなものであって、心が形に表れ、その形がアウフヘーベンした心をつくっていくのだ。

OUEN Japan は、「学生たちの応援団」であり、それを応援してくださる「企業(OUEN Company)の応援団」であり、究極には、学生たちとOUEN Company が協働して、住み働き学ぶ「地域の応援団」を目指したい。私の第二の生は、それがミッションだ。

その心が丸坊主という形になって、心を清くして、OUEN Japanのミッション達成に貢献する。

第二の生を「自利利他」が全ての生きるベース、幸せのベース、幸せがサスティナブルに続くベースであることを身をもって示すものにしたいと思う。

「自利利他」とは、他を利することで自分の利はついてくるということだ。
人間は欲得で生きている。成長したい、お金儲けがしたいという欲があって、人間は成長してきた。しかし、その欲がサスティナブルに続くためにはどうしたらいいかとまでは考えが及ばなかったのだろう。自分だけが良ければと思うから、犯罪は起こるし、絶滅に至る動植物は後を絶たない。地球温暖化は止まらない。みんな人間が自分勝手に「我さえ良ければ」と言う欲望だけで生きてきたからだ。

仏教の教えに「忘己利他(もうこりた)」がある。己を捨てて他を利することだ。滅私奉公もそのようなことだろう。
それは崇高な心だが、神様仏様のレベルでなければ達することができないレベルだろう。それを凡人たちの私たちに求めるのは無理というものだ。 しかし、「自利利他」ならそうではないのではないか。まずは自分の利がある。それを果たすための最高のコスパは何かということの結論が「自利利他」なのだ。 頭のいい、欲得を考えた人間ならば、この「自利利他」は究極の哲学になるのではないか。そうであってほしい。

それを身をもって、私がリードオフマンになって第二の生で示すことだ。

昨日の企業と企業のセッティングは、その一つの形だった。人は、お互いが鏡のようなもの。キャッチボール。こちらが投げたように相手は投げ返してくる。好球には好球が返ってくる。それを第二の生で身をもって示したいと思う。

小林 博重

老いと共に生きる。

今日から1泊2日の福岡・北九州出張だ。
昨夜は20時に床に就いたが、1時過ぎには目が覚めて眠れない。5時前には事務所を出なければならないので、万が一寝過ごしたらという懸念があるからだ。そんな時には起きてそれまでの時間は読書をするに限る。

1時半に事務所に出向き、電動シェーバーで頭を剃り、朝風呂に浸かる(T字剃刀で剃るのは、週一の休みの日にすることにする)。 ちょうど積ん読してあった五木寛之さんの「孤独のすすめ〜人生後半の生き方〜」を読む。
五木さんは昭和7年生まれで私より20歳歳上だ。稲盛和夫さんと同い年。お二人の対談があった時、聴講した覚えがある。
お二人の性格は好対照だが、人生を深掘りして真摯に生きる姿勢には共通するところがある。
私はお二人の人生哲学に共感し、このお二人を尊敬してやまない。

[嫌老から賢老へ]
バランス感覚豊かな賢い老人になることだ。人のために生きることだ。社会貢献の精神を持ち、行動で表すことができる老人を目指すことだ。

いつもはメトロで外苑前→新橋、京急で新橋→羽田空港だ。それでも6時30分福岡行きANAになんとか間に合うのだが、少し料金は高いが、それより10分近く早く着くモノレールに乗る。これもせっかちな性格で致し方ない。直す気もない。

昨日、歯茎に血膿が溜まったので新宿にあるかかりつけのサンデンタルクリニックを受診した。もう10年は通っている。
院長の小山悠子先生は、私と同い年。高校同期の仲谷清孝君と共に福岡先生の門下生だ。ひょんなことでそのことを知り、私の歯のかかりつけ医になっている。 小山先生は私より少しお姉さんだが、若くて明るい。小池都知事に似ている。性格は可愛い、愛すべき美人先生だ。

私が丸坊主だったこともあり、どうしたのかと聞かれたので、ウォーキング中につまづいたことで頭を切って5針縫ったことを話した。先生からは「ウォーキングするだけじゃダメだ。70歳だと意識して有意注意で体力を維持することだ。私が通っている合気道は青山にもあるから、紹介する。合気道は心身共に鍛えることができるから、生涯現役の小林さんには是非ともお勧めする」とのこと。そして、その会の会報をいただいた。私は趣味は仕事しかないが、仕事以外に年相応に身体を鍛えることも必要だ。休みに通ってもいいかと思う。

自分自身の心身を知り、それに抗ったり、騙したりしても賢い老人にはなることはできない。
老いることで人間は必ず賢くなるものだ。そして、老いと仲良く共に生きることだ。

小林 博重

裕美ちゃんのこと

昨日、渋谷パルコ7階の「金沢まいもん寿司」で安藤裕美さんとランチをご一緒した。

金沢まいもん寿司は金沢市本社の(株)エムアンドケイが経営している。オーナーの木下孝治さんは石川県人会の仲間だ。親しくさせていただいている。

裕美ちゃんには、6月4日の私の[生前葬〜出陣式]のイベントで、出陣式の司会をお願いしている。また、今年こそ、第8回[OUEN望年会]を3年ぶりに開催したいと思っているが、その司会もお願いしている。

これらのイベントには、私は強い想いがあり、その想いを心底分かってくれている人に司会はお願いしたいと思っている。それが私の息子たちより歳下の裕美ちゃんだ。私は実の愛娘とも思っている。

彼女はお父上が創業されたレストラン「西櫻亭(伊勢丹新宿、立川、京都)」と鉄板焼き「大安くらぶ(丸ノ内ホテル)」を副社長として経営している。まだ、経営者になってまだ4年あまりだろうか、日は浅いが、その頑張りには頭が下がる。私は知り合いになって、彼女が私と同じく稲盛哲学を信奉していることも、彼女をずっと昔からの朋友だと思う所以だ。

あの人は人徳があるとか、人間的魅力があるとか、そして、どうしても応援したくなる人がいるものだ。その筆頭が裕美ちゃんだ。どうしてだろうと思う。

オープンマインド。嘘偽りがない。心が美しい。こちらがこの人を応援したら、その応援に応えてくれる。絶対人を裏切らない。人の心が分かる。真っ直ぐに人生を生きている。打てば響く、等々。

若くして「くろうみやまのほととぎす」の裕美ちゃんは、明るく素直に、真っ直ぐ育っている。

彼女の夢を私がどれだけサポートできるだろうかはなはだ心もとないが、生涯をかけて応援してあげたいと思う。そう思わせる人だ。

今朝、風呂に入ってNHKラジオを聴いていたら、中島みゆきの『時代』が流れてきた。この歌を裕美ちゃんにプレゼントしたい。

頑張れ!、頑張れ!!、頑張れ!!!、裕美ちゃん!!!!

小林 博重

今はこんなに悲しくて

涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても

めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変って歩き出すよ

まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出逢いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変って歩き出すよ

今日は倒れた旅人たちも
生まれ変って歩き出すよ

隣国ロシアのこと

昨日、赤坂コミュニティプラザににおいて行われた、NPO法人日ロ経済文化交流会のセミナー「ロシアのマーケットを知ろう」に参加した。 高校・大学同期の山辺美嗣さん(元通産省勤務、富山県議会議長)がこのNPOの理事・事務局長をしている関係で、私がセミナー会場を予約したことがご縁だ。

私は、ロシアと言えば日露戦争や北方領土くらいしかイメージできない。
また、昨今は、ウクライナ危機や北京冬季オリンピックのドーピング問題等で姦しい。全くいいイメージは持っていない。
OUEN塾の留学生にも福岡でいたことはいたがあまり印象はない。
また、学文協同組合の技能実習生ではシベリアの話があるが、まだ話程度だ。

とにかく、ロシアは、中国や韓国・北朝鮮と同様、近くて遠い隣国である(そんなことを考えると日本の近くて近い国はない。隣同士はいがみ合うものなのか。人間の性なのか。寂しいことだ)。

これは地政学的な問題であり、政治が絡むとどうしてもこうなる。歴史や文化が国を作っており、それぞれの国の教育がそうさせている。如何ともしがたい。

これらの国の人たちと政治の話はご法度だ。個人的にはいい関係であっても、こと政治や歴史の話題になると人間関係がギクシャクする。よって、そのような話は避けることになる。

国と国が仲良くなければ、その国の個人同士の人間関係は深いものにはならないのだろうか。そうではないだろう。
まずは個人があって、その個人同士が人間的な温かい関係を作ることが最初なのではないか。

来日している留学生は、みんな日本や日本人が好きな人たちだ。日本嫌いはわざわざ嫌いな日本には来ないだろう。
日本を好きな外国人と、本音で語り合うことから始めることだ。そして、温かい人間関係を構築することだ。
心が通っていないとステレオタイプでそれぞれの国の人たちに反応してしまう。

私はロシアのことは全く分かっていない。これもご縁だと思って、ロシアのことを勉強してみようと思った。

小林 博重

地域創生と信用金庫とOUEN Japan

20日22時から放映された[NHKBS1スペシャル]の『金を貸すより知恵を出せ〜コロナ禍・老舗信用金庫の格闘〜』を試聴した。 過日、九州北部信用金庫協会の篠原専務から放映のご案内があった。加えて、先週末にはくさん信用金庫(石川県金沢市)の福井主任調査役からもご案内をいただいていた。
いつもは、19時過ぎには寝ているのだが、せっかくのご案内だったこともあり、昨日は18時前に床に就いて22時前には起きて視聴し、23時から二度寝するという、私には「離れ業」のようなことをした。しっかり視聴したことで、その趣旨をしっかりと脳裏に焼き付けることができた。

私=OUEN Japan は『地域創生』がミッションである。
その「地域創生の心」、「地域創生の主役」とそれを支える「最大のサポーターとしての主役」を間違えないことだ。
そして、その地域創生の主役たちを応援する脇役(黒子)が、OUEN Japanであり 、その地域以外のOUEN Company であり、OUEN塾に集う学生たちだということを決して忘れないことだ。 それがサスティナブルな地域創生になる。それによって、小林博重=OUEN Japanのミッションは達成することができる。

巣鴨信用金庫は今年が創立100年だとか。理事長はコロナ禍が始まった2020年4月に全職員向けに宣言したことは、「顧客開拓数や預貸金の目標を撤廃して、顧客の営業支援に信用金庫の持てる力を全力投球せよ」との今までの営業姿勢とは真逆の方針を打ち出した。いや、これは真逆であるとは言えないだろう。金融機関の本来あるべき姿を今ここでしっかりと確認し、そして、そのことを全員で行動に移していこうというトップリーダーの熱い想いがあっての宣言なのだ。

信用金庫は全国各地に地元密着金融機関として、都銀や地銀にはない地元住民とのアナログな接点を作っている。やはり、地域創生のコアとなる金融機関は信用金庫なのではないかと私は思う。それに信用金庫らしいデジタルの武器を提供することで「鬼に金棒」の如く、信用金庫を地域創生のコア金融機関にすることができる。

渋沢栄一、安田善次郎などの明治の金融人は「金融機関の本来の目的は、金融機関が日本経済の血液になることであり、それが志高い事業家への惜しみない応援である」ことを肝に銘じていたのだと思う。
彼らのような能力は待ち合わせていなくとも、金融人を志した人間として、その志は持っていたいものだ。私は金融人の失格者であるが、私なりの天から与えられた得手(能力と熱意)で、志高い事業家たちを応援したいと思う。

これからはwithコロナの時代である。私のミッションを形にするそのスタートは、九州北部(福岡・佐賀・長崎)であり、北陸(石川・富山)だ。まずは、この2つの地域の創生を少しでもサポートすることだ。

小林 博重

「出家して、在家で人生を送る入道」を目指す。

昨日はいつもより早く、18時に床に就いた。うつらうつらして寝入り、珍しく寝足り感があったのだが、今朝は3時前に目が覚めた。結構眠った。快適な目覚めだった。
それからの床の中の30分、昨日の出来事(反省)や夢の中のことなど、いろいろなことを考える。それを事務所に出向き、日々のブログに書くのが、私の一日の事初めになっている。

「悟る」とはどういうことだろうと考えた。
「出家」をすることで悟ることができるのだろうか。
日々、一生懸命生きること、仕事をすることが”精進する”ことなのだから、在家でも出家することができるだろう。
頭を丸めて「入道」になれば、人間は心が弱い動物だから、頭を丸めて姿を入道にすることで、”有言実行”と同様、日々の行動を有意注意することで、「悟り」に到達することができるようになるだろう。

そして、なんだかんだ言っても思っても、究極は、「悟る」とは”大人になること”なのではないかと、今日のところはそれを結論としようと思い、床を離れた。

では、「大人(おとな)」って何だろう。
私は、私を良く知る人に、「もっと大人になりなさい。まだまだ中学生ですね」とか、「子どものままで大人になった人だ」とか言われる。その言わんとする意味は「まだまだ子どもだ。もっと成長しなさい」ということだろう。 そして、「正直者はバカを見る」という諺があるが、「人を信じ過ぎて、人に利用される」というところもあるだろう。

また、その「子ども」を別の意味で言われることもある。「あなたは、幼な子の心を持って大人になった貴重な人」なんだと。
“純真無垢”であったり、”天真爛漫”であったり、きっと褒め言葉なんだろう。それが”天衣無縫”にまで行けば理想なのだが。

曰く、「悟る」ということは、”子どものような大人になる”ことなのではないかと私は理解する。

純真無垢で、天真爛漫で、天衣無縫な、美しい心を持った”大らかな大人”になること。

人と争うことを好まず、穏やかな優しい心で、相手のことを考える”恕の心を持った大人”になること。

人間には決して捨て去ることができない108つの煩悩があり、それをバランスよくコントロールすることができる”賢い大人”になること。

私は、おこがましいが、「出家して、在家で人生を送る入道」になることを目指したい。
人生を生きていくこと、生涯現役で仕事を続けることは、それ自体が修行であり、そうであるとすれば、在家のままで仏に近づくことができるのではないか。 すなわち、煩悩を上手にコントロールすることで「世のため人のために生きる」ことができる。

小林 博重

コーディネーターとしてのOUEN Japan

昨日(2.18)、頭の抜糸をした。慶應病院で縫ったのが2月4日の立春だったからちょうど2週間経つ。後は、塗り薬を1週間程度、寝る前に塗るようにとの先生の言だった。

髪を電気シェーバーで毎日剃っている。髭同様、一日経つとツルツルにした頭がザラザラになっている。このように人間の煩悩も日々生えてくるのだ。 これからは、「毎日の反省」で、煩悩を剃ることを習慣にしようと思う。そうしている内に、煩悩は生えるのを止めるのではないか。

人間は日々の行動を反省し、反省を生かして行動に移すことで、少しずつでも成長していくのだ。

毎日20時には床に就くので、昨日のカーリングの準決勝の試合を見ることができなかった。
今朝2時半に目覚め、スマホでロコ・ソラーレの大金星を知り、動画も視聴した。感激と興奮でもう眠気は吹っ飛んだ。

高木美帆選手の大活躍とは違う意味で、ロコ・ソラーレの銀メダル以上は私に勇気を与えてくれる。
彼女たちは北海道北見市に住むごく平凡な女性たちだ。勿論、弛まぬ努力があったればこそだが、彼女たちの素朴な笑顔と素晴らしいチームワークが運を引き寄せているのではないか。 運とは神仏から与えられるものではなく、心掛けで自らが掴むものなのだろう。「運も実力の内」という。人生への取組姿勢、考え方が運を引き寄せるのだ。

地域創生を考える。
長崎IRに関わって確信したのだが、地域創生はやはり、その地域の人たちが主役でなければサスティナブルな本物の地域創生にはならないということだ。 大企業が主役でインフラを作ったとしても、そしてトリクルダウンで地元がその恩恵を受けたとしても、それは上から目線で、肝心要のところが中央に吸い取られていく。

私は、地域創生には「謙虚」と「感謝」の心がベースになければならないと思う。
中央の大企業をはじめ、国や地方自治体にしても、やはり上から目線なのではないか。
「してやる」「させてやる」「感謝しろ」ではないのか。

私は長年、大企業と言われる会社に勤めていて、それも金融機関だったので、そのことを肌身に感じるのだ。渋沢栄一や安田善次郎はベンチャースピリットがあってそんな想いで銀行を創立したのだが、時代が経って、その組織が大企業になってしまうと、組織で生きる人間はどうしてもその志をなくしてしまうのだ。 そして、人間は弱い動物だから「楽して得を取る」ことを考えてしまう。利益は手段に過ぎないがそれが目的になってしまう。
「人は何のために生まれてきたのか」「生きている意味は何か」を考えることをしなくなってしまう。
上から目線で、下請けをこきつかおうとする。対等な相手として協力会社を見ない。謙虚な心がなくなる。だから協力会社に感謝もしない。逆に「仕事を与えてやるから感謝しろ」となる。ご丁寧な態度でも、それは慇懃無礼なことが多い。

私の夏の25年間(45歳〜70歳)、水前寺清子ではないが、それなりに♫くろうみやまのほととぎす♫だったことで、大企業の社員にはなかなかほんとのところは分からないだろう「謙虚」と「感謝」の意味が少しは分かるようになったように思う。

21世紀は「山椒は小粒でもピリッと辛い」「山椒が主役」「小が大を使う」時代だ。
そのコーディネーターがOUEN Japan でありたいと思う。

小林 博重