慈とは何か。

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蔓延防止重点措置期間は雌伏の時と思い、解除後のビジネス展開の準備期間と前向きに捉えることだ。身に降りかかる全てのことはいいことでも悪いことでも全てを磨き砂と考えることで、人生は明るく幸せで豊かなものになる。

今週は札幌、再来週は富山の出張があり、コロナ感染防止対策を万全にして出張することにする。
来週の長崎・福岡と京都の出張はキャンセルになった。これからの出張のアポは2月中旬以降に入れることにする。

昨日は南麻布了聞にて、馬形さんと小野里さんと、6月4日に執り行う生前葬と出陣式について打ち合わせをした。
まだまだ先だと思っていたが、イベントまであと5ヶ月弱しかない。時はあっという間に経ってしまう。

生前葬は6月4日(土)午前に南麻布了聞にて行なう。
瑞華院の福井住職から不動院の戒名を頂戴し、そのあとで生前葬を行なうことになる。約50名の方々にご参列いただく予定だ。
生前葬の写真は、写真家の齊藤文護さんに、また動画撮影はankスタッフにお任せしている。動画はYouTubeからもアップする。
葬儀委員長は、私が大学応援部以降、半世紀に亙りお世話になっている井口一弘さんにお願いしている。また、司会進行は了聞の前川さんにお願いすることになるだろう。

生前葬を終え、50名の参列者の方々はマイクロバスで神宮球場傍の日本青年館に向かう。
日本青年館ではOUEN Companyの方々150名が参集いただいており、合流して200名にて、私の第二の生の出陣式を行なう。

私の想いとしては、生前葬の流れでもあるので、「幸せに生きる」ことをテーマに福井住職にご講話をいただきたいと考えている。
死を考えることは「幸せな生」を考えることでもある。世界情勢、コロナ禍等、世知辛い世の中を如何にして幸せな心で生きていくか。

私が生前葬を執り行おうと思ったのは、70歳の古来稀なる古稀まで生き生かされてきた、この歳で区切りを付けて、新たに第二の生の50年を明るく幸せに生きていきたいと思うに至ったからだ。
幸せに生きるために、生きたままで死ぬことだ。それはこれからの生を、より良く生きるためである。

打ち合わせの最中、私は『慈愛』という言葉を思い浮かべた。

ウィキペディアでは『慈』について、下記のように記してある。

慈(英語では、loving-kiodness)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に深い友愛の心、慈しみの心を持つこと。また、それらに楽を与えたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「与楽」に相当する。慈愛とも訳される。

「いつくしむ」は「慈しむ」とも「愛しむ」とも書く。慈は愛である。仏教もキリスト教も表現はさまざまだが、その本質は慈なのだ。

「自利利他の心」
「自分の利を求めるなら、まず他を利することから始めよ」と言うことではないか。
「忘己利他(もうこりた)」のレベル、己を忘れて他を利する、滅私奉公のレベルには凡人は辿り着かない。しかし、自分が一番可愛いのであれば、その可愛さを追求するためには相手のことを慈しみ(愛しみ)、相手のことを考えて尽くすように努めることだ。
この自利利他であれば、凡人でもできることではないか。自分を究極まで愛するのであれば、それは人のために尽くすことからなのだ。「情けは人のためならず」と日本の諺にもある。

お釈迦様はそれをどのようにお話しされているのだろう。福井住職には、そのことを私のレベルでも分かるようにお話しいただきたい。

そんなことを考えた。

小林 博重