生前葬と出陣式の意外な意味

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人間若い内は、まだ自分がよく分からない。自分自身を知るためにいろいろなことにチャレンジする。自分の得手と不得手が分かってくると、その得手を磨くこと、不得手を何とか克服しようと努力することは、若い内に必須なことだろうと思う。 自分のことを思うと、それはせいぜい30代までだろうか。では、40代以降はどうしたらいいのか。

私が思うに、得手を磨き続けることに集中し、不得手な分野は、それが得手な信頼する仲間たちに任せ、パートナーシップを構築することに注力することだと、私はそう思う。つまり、40代以降は、何よりも人を見る目を養うことが肝要だと思う。
幸せな人生を送るためには、生涯青春の心であることだが、如何せん肉体が衰えることは避けられないのだから、人生のコスパを考えると人さまのお力をお借りすることが幸せな人生を送るための要諦のような気がする。

では、私の得手は何か。
さしたる得手を持っているとは思わないが、あえて言うとすれば「人の懐に、『嫌われないで図々しく』入っていくこと」のような気がする。ある人はそれを「ど厚かましい」と表現したが、一般的に「ど厚かましい」人は嫌われるのだから、それが『嫌われない』というのが、私ならではの得手ということだ(そう私は思っているだけかもしれない。妻には時々指摘され注意される)。

人と人との間を取り持つことはビジネスには必須だろうし、ビジネスに限らず人間関係は人間世界での幸不幸の全てと言っていいだろう。 それをビジネスにすることはニッチではなく、ビジネスのメジャーなのではないか。いつの時代になってもこれがビジネスになるのだ。

しかし、これをビジネスと言って看板を掲げている人はほとんどいない。私もビジネスになるとは全く思っていなかったが、45歳から70歳までの25年間で私のビジネスにすることができた。

ボランティアをするにもお金がないと何もできない。人を幸せにするためにもお金が不可欠だ。あり余るお金は寧ろ心を貧しくすることがあるが、塩梅のよいお金は絶対に必要だ。また、お金を如何に散ずるかによって人のレベルが分かる。

私はこの人の世を渡っていくことについて、ニッチでありながらもメジャーである「人間関係」を飯の種とし、世のため人のためにボランティアに精力を注ぎ込みたいと思っている。 稲盛哲学をベースとして、小林流の応援哲学を構築し、芯をぶらすことなく、真っ直ぐに生きることなのだ。

漸く、それが少しずつできるようになってきたことを実感している。
これも、生まれ変わって第二の人生を生きていることがそうさせているのだと思っている。

私にとって生前葬と出陣式は、思いの外、威力抜群のイベントなのだ。

小林 博重