長崎県での『地域創生』サポート

朝一番の地下鉄で羽田空港に向かう。今日から1泊2日の長崎・福岡出張だ。
1日目は長崎県川棚町と波佐見町への地域創生のプレゼンだ。ニチモの日浦社長、鯉ノ内役員、倉田社員を同行する。

川棚町は東大応援部の先輩である田口一信さんが町議会議員をされている。田口さんのセッティングで波佐見町(川棚町の隣町)の議員さんも同席していただける。長崎IR以来、田口さんにはいつもお世話になりっぱなしだ。感謝してもし過ぎることはない。

長崎県は九州7県の中で一番人口の減少率が高い県だそうな。自然資産と歴史資産の両方とも、九州屈指の県だと思うが、地元の人は福岡や首都圏、関西圏に出ていってしまう。どうしたらいいか。 そのため、長崎県や佐世保市は、ハウステンボスの隣接地にIR(統合型リゾート)を誘致しようと考えたのだろうが果たしてどうなることやら。雲行きは怪しいようだ。

私もこの長崎IRに少し絡んでいたが、残念ながら、私が関わっていたチームはドロップしてしまった。

落ちてみて、考えた。
長崎IRを、長崎のみならず九州の地域創生の起爆剤にしようとして、私もそのように思い、関わったのだが、如何せん、IRは「上から目線」で地域を創生する思惑がある。地元企業や住民は受け身だ。 トリクルダウンは安倍政権で成果は出ていない。そんなことで私は、地元企業や住民を主役にしない長崎IRは地域創生には繋がらないのではないかと思うに至った。

私がこの1年半、長崎県と佐賀県で人脈を発掘してきた。福岡県では、今まで3回の[OUEN塾in福岡・北九州]開催で、福岡の協賛いただいた企業は約50社に及ぶ。

「転んでもただでは起きない」

地域創生サポートはOUEN Japanの最終のミッションだ。
福岡・佐賀・長崎の九州北部3県の地域創生のために、この人脈をフルに活用したいと思う。

小林 博重

21世紀は、「アナログとデジタルの融合」「心の時代」

今週は、正月休みモードを終えて、令和4年の本格的稼働がスタートする週だ。更に、私にとっては、第二の生のビジネス(&ボランティア)の初陣の週でもある。

高浜虚子は「去年今年、貫く棒のごときもの」と詠ったが、私にとって「貫くもの」とは『敬天愛人』『応援人生』であり、それを合わせた『応援哲学』である。それ以外に何もない。 この『応援哲学』が「貫く棒のようなもの」として、第一の生から第二の生に受け継がれたのだ。後はまっさらの新しい人生だ。

今日は、LANの垣添さんと川村さんがいらして青山の礼華青鸞居でランチMTGをした。
OUEN Japanとankとは一体不可分であり、地域創生サポートを掲げて船出したところだが、LANもこの船に同船していただくことが、私がLANをサポートすることであると話す。お二人も同意見。

小が大と対等にビジネスをするためには、きれいな心を持って緩やかで強固なパートナーシップを組むことが不可欠だ。それが「小よく大を制す」ことにもなる。 決して小はトリクルダウンでお下がりをありがたがっていてはいけない。小がリードオフマンになってビジネス(&ボランティア)を組み立てることなのだ。

地域創生も同様だ。あくまでも、地元の中小零細企業が主役である。OUEN Japanはその黒子として、地元以外の大中小の企業や地方自治体を巻き込み、彼らを[主役である中小零細企業]の応援団にすることだ。 それがOUEN Japanが[地域の応援団長]である所以だ。

午後に、了聞の馬形さんがきらぼしコンサルティングの小島一樹さんと外苑前の事務所にいらした。馬形さんは安田信託時代の2年後輩(S53年入社)、私がいて彼が安田に入社してきたようなものだ。腐れ縁といったら語弊があるが、まぁそんなところか。決して悪い意味で言っているのではない。 小島さんは昭和56年に安田信託銀行に入社された。私は今回が初対面だ。今はきらぼしコンサルティングに所属している。私の事務所から徒歩5分もかからない。

私は昭和59年に人事に転勤してきて、研修・採用・企画をしたので、昭和59年入社以降の社員はよく知っているが、それ以前の54〜58年入社の社員は、変わり者以外は知らない。小島さんはその変わり者でなかったから知らなかったということ。それが腐れ縁の馬形さんが繋いでくれたというところか。

東京きらぼしフィナンシャルグループは東京都民銀行と八千代銀行と新銀行東京が合併した、いわば東京の地方銀行だ。都銀でもなく、信金でもない。
私のミッションである地域創生サポートにはあまり関係しないグループかもしれない。しかし、地域創生はその地域だけで創生ができるものではない。首都圏、その地域以外の地方の大企業や中堅企業等の応援が不可欠なのだ。 人との繋がりは今がどうということではない。
「情けは人のためならず」「自利利他」「因果応報」全ては繋がっている。それは20年、30年、50年、100年かもしれない。私がこの世にいなくなってからということかもしれないが、『魂』は永遠に生きているものであり、私の子孫の心の中には私の魂は生きている。人とのご縁は目先だけで考えては人生はつまらなくなる。 そんなことで、このご縁を大切にしていきたいと思う。

夕方には神田の共立メンテナンス本社を訪問し、中村社長と山田副部長と1時間に亙り、打ち合わせをした。中村社長は私と同じ石川県出身の間柄。山田さんは、私が2年過ごした、愛すべき札幌のご出身だ。誰にでも好感を持たれる私が大好きな素敵な女性だ。

OUEN Japanと共立メンテナンスのコラボと言ったら、それは小と大とのコラボなのだが、21世紀は多様性の時代であり、必ずしも「大きいことはいいことだ」の時代ではない。
私は、21世紀は「心の時代」が極まる時代なのではないかと思う。その極まりを一層高めるためにも、「アナログとデジタルの融合」が不可欠なのではないかと思う。その実験台がOUEN Japanであり、私はそれをしっかりと証明したいと思っている。

小林 博重