渦の中心になれ

稲盛和夫さんが仰るフィロソフィーの一つに『渦の中心になれ』がある。

仕事は自分一人ではできません。上司、部下をはじめ、周囲にいる人々と一緒に協力しあって行うのが仕事です。その場合には、必ず自分から積極的に仕事を求めて働きかけ、周囲にいる人々が自然に協力してくれるような状態にしていかなければなりません。これが「渦の中心で仕事をする」ということです。

会社にはあちらこちらで仕事の渦が巻いています。気がつくと他の人が中心にいて、自分はそのまわりを回るだけで、本当の仕事の喜びを味わうことができないときがあります。

自分が渦の中心になり、積極的に周囲を巻き込んで仕事をしていかなければなりません。

私が団長(理事長)をしているNPO OUEN Japanも、個人会社の南青山ビジネスパートナーズ(Map)も、いずれも組織(団体、会社)とは言えない「個人会社」という、言葉に矛盾がある代物だ。しかし、人は世の中に生かされて生きている動物であり、決して一人で生きていくことはできない。天が私に与えて下さった「大いなるミッション」は、多くの人たちを巻き込んで、私が『渦の中心になって』働くことで、達成することができるのだ。

私は組織の中で、組織のしきたりの中で仕事ができるような殊勝な人間ではない。それは21年間の銀行員時代で嫌というほど自覚したことだ。と言って、一人では何にもできはしない。あのロビンソンクルーソーですら、事を成すのに人を巻き込んだではないか。

私なりの組織観を持ち、どのようにしたら私のミッションを果たすことができるのだろうかと、私の立ち位置を見つけ、それを揺るぎない確固とした哲学にまで確立することなのだ。一般に言う「組織」に属さずとも、グローバルな意味で本質的に「組織人」になることができないと「大いなるミッション」は果たすことはできない。私はそのような本質的な「組織人」になりたいと思う。

一寸法師や桃太郎の鬼退治を考える。

一寸法師は、その小さい身体で鬼に立ち向かった。その言わんとすることは「一極集中」だ。一寸法師が肌身離さず持っていた、先の尖った針の先で、飲み込まれた鬼の胃壁を「一極集中」で突き続けたのだ。

①得手を磨け(針を持つこと)

②継続は力なり(針の先を突き続けること)

また、桃太郎は、猿と雉と犬をお供に引き連れて鬼退治に出かけた。桃太郎一人では鬼に立ち向かうことはできなかったろうが、それぞれの得手を持った仲間とのパートナーシップで勝利を収めたのだ。

そして、次には、鬼を改心させ、その鬼を最強の味方にしてしまうことだ。鬼を味方にしたら、まさに「鬼に金棒」だ。「小よく大を制す」から「鬼に金棒」にアウフヘーベンすることだ。

21世紀は、森永エールチョコレートのコマーシャル「大きいことはいいことだ。森永エールチョコレート」の時代ではない。小粒でもピリッと辛い、種々雑多の、心清い「山椒」のチームワークが時代をつくる。まさに、山椒が「渦の中心になって」時代をつくる、実に面白い世紀なのだ。

小林 博重