体調管理に手を抜くなかれ。

月日の経つのは早いもの。今日は1月の最後の日だ。歳を取るとあっという間に月日が経つ。しかし、私の第二の生は、まだ1ヶ月の赤子だ。

午前は水天宮前のロイヤルパークホテルにて、MYパートナーズ永田さんと南麻布了聞の馬形さんを引き合わせた。
永田さんは、私が明治安田生命エージェントになった時、採用していただいた大恩人だ。
馬形さんは、大学から銀行まで半世紀近く付き合っている後輩であり朋友だ。
私が自信を持って紹介できる両名のセッティングだ。長続きするビジネスの基本は信頼がおける人間関係だ。きっとこのビジネスは順調に進むだろう。

午後は、月一のかかりつけ医の藤田クリニックの藤田先生に人間ドックの健康診断成績表をお見せして、今後のアドバイスをいただいた。
昨年4月に糖尿病の気があるとの診断で、食事療法と運動(ウォーキング)を勧められた。ウォーキングは継続しているが、食事療法は一時効果が出て、それで少し手を抜いてしまった。それが敵面に体重に出ている。一時は5キロ減量できたのだが、元に戻ってしまった。 まだ糖尿の数値は正常値の上限だから、これからは手を抜くことなく、減量に精を出そう。
何せ120歳まで、あと半世紀は現役で仕事をするのだ。

先生の診断を終えて、早速2時間ウォーキングをした。昨日歩いた逆回り。2万歩を超えた。
ちょっとスッキリした。あとは食事療法の徹底だ。今夜の夕食から気を付けよう。

小林 博重

朋有り、遠方より来たる

『論語』開巻第一の言葉だ。子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずとも慍みず、亦た君子ならずや、と。

東大応援部の1年後輩の高橋明裕さんからお手紙をいただいた。最近は、彼とは年賀状のやり取りだけで、ずっとご無沙汰していた。突然の手紙で吃驚したが、実に懐かしく、心が温まる心地がした。

彼は高校時代、新聞少年でお母上を支え、現役で東大に合格した「岩手の神童」だ。私は、彼の厳しい現実を明るく真面目で真っ直ぐな心根で生きている姿に心から感動したものだ。
手紙には、大学を卒業して45年余り、一日の空白もなく働き続けたので、もう充分だと。そして、温かい家族にも恵まれ、これからは個人事業を楽しくしながらお孫さんたちの良き元気なお祖父さんでありたい、と書いてあった。
ご苦労様。よく頑張ってこられたと思う。これからは、第二の人生として、ご家族を大切に生きていってほしいと思う。

私の苦労はと言えば、45歳から70歳の25年間であり、その見返りの実りは、これからの第二の生で味わいたいと思っている。これからが、苦労を糧にして、もっと働く半世紀になるのだ。世のため人のために尽くそうと思う。

人はそれぞれの人生を全力疾走して生きる。価値観は人それぞれ。自分の価値観を貫き通すことが幸せなのだ。

私も高橋さんに私の「生きる存念」を手紙に認めて投函した。
「朋有り、遠方より来たる」の心境だ。また楽しからずや。生きていて、一所懸命生きてきて良かったと思う。

小林 博重

マルチステージを生きる。

「LIFE SHIFT2」〜100年時代の行動戦略〜(アンドリュー・スコット/リンダ・グラットン著)を読み始めた。ベストセラー「LIFE SHIFT」の第2弾だ。

帯には、こう書かれている。
この変わり続ける世界で、どう生きるか?
日本人の不安に応える
『ライフ・シフト』最新版

7人のキャラクターとともに学ぶ、人生100年時代の
生き方
働き方
学び方

テクノロジーの進化と
長寿化の進展で人間とは何かが問われる

社会的開拓者として
新たな社会を切り開くための知恵と覚悟とは

よりよい暮らしをつくるために
物語、探索、関係が人生の軸となる

年齢、時間、仕事、世代、コミュニティに対する見方が変わる

人生100年時代になって、人間は、3ステージの人生からマルチステージの人生へと大きく変わっていかなければ幸せな人生を送ることができない。まさに「人生を如何に生きるか」の指南書である。

私の来し方の人生を振り返ってみる。

まさに、今まで私が生きてきた人生は3ステージの人生だった。
23歳で第1ステージを終え第2ステージに突入した。そのまま65歳まで第2ステージで頑張るはずだった。そのことに何も疑問を持たず。それが当たり前の、ある意味では「よき時代」だった。
しかし、私が勤めて20年が経った四十路を超えた頃には、金融界には自由化の波が押し寄せていた。最初はさざ波だったものが次第にその波は荒くなり、これからの金融界は冬の日本海になるであろうと。私の四十路はその入り口の時代だった。

さまざまな事情が重なって、私は私の前に敷かれていた第2ステージを途中下車して、予定していたステージとは全く相違した第3ステージを歩くことにした。そのステージも昨年終え、これが私の第一の生の締めである。 今は第二の生を生きているのだが、これは「LIFE SHIFT」でいう第4ステージというところか。

「LIFE SHIFT2」を読んで、結構私は先を生きているのだな、まんざらでもないなと自画自賛したい気持ちになった。

私のような生き方は誰にでも勧めることができるものではないが、私自身、結果オーライの人生だったと思う。私は先見性がある人間とは思っていないが、そのままに生きていると神さまが宇宙の大流の方向に私を導いてくださるのだろう。その点で私は実に「運がいい」人間だと思う。

そして、私の人生は、第一の生が終わっただけで、これからが新しい第二の生が始まる。始まったばかりなのだ。

昨日、OUEN塾OGの吉田梨紗ちゃんといろいろな話をした。
人間悩みは尽きない。自らを深掘りすることで悩みは深くなる。その悩みが人を成長させるのだ。

ザックバランに私に語ってくれた彼女の素直さに、私ができることはサポートしてあげたいと思う。

人間が幸せに感じることの第一はお金ではなく「温かい人間関係」なのだという。お金はあくまでも幸せになる必要条件の一つであり十分条件ではない。 人のために生きること、人のために尽くすこと、お互いが応援しあうこと、その温かい人間関係が幸せな心を育むのだ。

私ができることは『応援』だ。
これはビジネスであってもボランティアであっても全く同じことだ。
ビジネスにはビジネスライクという言い方があるが、そこには人間のハートがない表現のように思う。
しかし、ほんとのビジネスライクとは、ビジネスのベースに温かい血が通った人間関係があるはずだ。そんな人間関係がビジネスをサスティナブルにする。

梨紗ちゃんに何をしてあげることができるか。梨紗ちゃんを応援してあげたいと思う。

小林 博重

日々「6つの精進」を反芻する。

事務所のデスクの壁に、稲盛和夫さんの「6つの精進」を掲げている。

6つの精進
1.誰にも負けない努力をする
2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省
4.生きていることに感謝する
5.善行、利他行を積む
6.感性的な悩みをしない

いつも念仏のように唱えている。頭では分かっているのだが、それがなかなか実行できない。一日として満足して床に就くことはない。日々成長はしていると思うのだが、間々「一歩進んで二歩下がる」日がある。それが普通の人間なのだと思い、反省して、感性的悩みはしないようにと思う。

「他山の石」
「覆水盆に返らず」
「情けは人のためならず」

諺は実に人間社会の本質を突いている。
稲盛さんをはじめとした偉人の箴言や人間の知恵を言い表した諺を日々反芻しながら、至らぬ自分を成長させなければならないと思う。

今日はOUEN塾OGの吉田梨紗ちゃんが来社し、ランチを共にする。大きな孫のような、素直で、真っ直ぐで、美しい心のお嬢さんだ。

現代は、真面目に真っ直ぐ生きようとしたら生きづらい世の中かもしれない。老若男女全ての人間にとって「生き方上手」は永遠の課題だ。

応援はキャッチボール
相手が取りやすい球を投げれば、相手はこちらが取りやすい球を投げ返してくれる。
応援の心を持って人と付き合うことは幸せの一丁目一番地だ。

何か彼女のお役に立てることができるだろうか。私も彼女から若い力をいただこう。

小林 博重

仕事を遊ぶ。

昨日は日帰りの札幌出張だったが、雪の札幌は銀行の札幌勤務時代以来だ。約四半世紀前のことだ。ついこの前のことのように思う。それだけ思い出は強烈に心に残っている。

昨日の札幌は、思いの外、雪が少なかった。千歳に降りた時は穏やかな天候だったし、札幌に向かう車窓からは粉雪がちらついていたくらいだ。
札幌駅で昼食を摂り、14時訪問まで50分近く時間があったので、地下鉄に乗らずに札幌駅から大通りの道銀ビルまで、地下道を歩かず雪がちらつく南北道路を南下した。大通りまで約10分だ。懐かしい街並みに感慨は一入だ。私にとって、懐かしい思い出の景色はどんな観光名所より心が安堵する。

アビタシオンには、30分ほど早く着いた。松本さんは初対面だが、私の札幌時代の話(金融法人課長で信用金庫を担当して全道を廻っていたこと、札幌は家族と楽しく過ごした思い出の街だと思っていること等)やら、なぜOUEN Japanがビジネスマッチングを生業としているのか、OUEN Japanのミッションについても話題になって、いい出会いになったと思う。

仕事で全道を廻ったことで、その地へ家族旅行をした。まずは仕事ありきだった。こんなところも生涯現役で生きるのが私に相応しいということだろう。私は、それを心が貧しいとは思わない。
私の心情は、仕事とプライベートをダブルで楽しむという「グリコのおまけ」が心を豊かにする、一生を2度生きるという、何事も前向きに考えるところだ。その意味で、私は得な性格だなと思う。得は徳に通じる。私は「人徳のある人」でありたいと思う。

ANA機内でも、JR車内でも、空港の待ち時間でも、昨日はスプリットタイムがいくつもあったので、ブログを3回書いた。これが私の余暇であり、ブログを書いて心を整理するのが、私の余暇の使い方なのだ。 人によっては仕事ばかりの仕事人間と思われるかもしれないが、これが私の幸せの基準なのだから何を言われてもどうしようもない。

仕事は遊び。遊ぶように仕事をする。仕事を遊ぶということだ。

小林 博重

日帰りの札幌出張③

コロナ蔓延防止等重点措置の期間とは言え、その趣旨を理解して万全の対策をした上でビジネスをすることだ。その期間だからと言って、折角アポを取ったチャンスを自分から断る人がいる。その中の一部には、コロナを言い訳に使って、仕事をしない人がいるのではないか(大企業は一つのルールを引いていると思われ、致し方ないところはあるが)。

今回の日帰りの札幌出張は、初対面はリアルに限る、Webでは殆ど意味がないことを身を持ってもって強く感じた。
その意味は、話の派生による雑談がお互いの人間性を理解し合うことで、スムーズなビジネスの展開が進展するものだということだ。

それと、ビジネスには大義が不可欠だということ。大義を高く掲げることで、それが旗印となって人はついてくる。また、自らの意志も有言実行で堅固になる。
さらに、大義の達成が難儀であればあるほど、あえて大義を高く掲げることだ。さすれば、意志はますます堅固になり、それによって誰にも負けない努力をするようになるものだ。

自分の何気ない前向きの行動が自分でも思いもよらない展開になることがある。その努力は成功の確率を否が応でも高めることになる。

人生は正直なものだ。その人の努力を決して裏切らない。

小林 博重

日帰りの札幌出張②

久しぶりに北海道に行く。日帰り出張だが、心は旅行気分だ。銀行時代の地方勤務は神戸4年と札幌2年だが、なぜか札幌時代が深く印象に残っている。

札幌時代は、子どもたちが小中学生だったこともあり、北海道の至るところを観光で訪れた(神戸時代は、妻は3人の子の子育てにかかりっきりで、どこも旅行をしなかった)。

北海道は梅雨がないこと。杉の植林が少なく花粉症が発症しなかったこと。私は冬は苦手だが、北海道の春夏秋は自然豊かでまさに「でっかいどう北海道」そのまま。そのまま北海道に住みたいものだとマンション購入を本気で考えたこともある。
特に社宅があった真駒内は大通りにも南北線一本で近く、自然の中に住んでいる気分だった。まだ、バブルの最中だったこともあり、ほとんど毎日、夜はすすきので美酒と美食に舌鼓を打った。忘れられない楽しい思い出だ。

今日は、JRで新千歳から札幌まで。地下鉄サッポロから一駅乗って大通りへ。道銀ビルのアビタシオン北海道を訪問する。その後のメディカルシステムネットワーク訪問はコロナのため、キャンセルになった。

アビタシオンは福岡本社の介護施設運営会社だ。関東や北海道にも積極的に進出している。さらに中国への海外展開も視野に入れているアグレッシブな会社だ。日本のみならず中国も高齢化社会に突入しているから介護施設のニーズは高い。

同社の大原会長は東大の後輩で、福岡のOUEN塾では協賛会社になっていただいているOUEN Companyの1社だ。
今回は、大原会長に北海道支店をご紹介いただいての訪問だ。

羽田→新千歳は搭乗時間が1時間17分。羽田→福岡より30分以上短い。距離は同じくらいと思うが、この差は気流のせいか。

人生も同じだ。宇宙の大流に如何に乗って生きるか。宇宙の大流には「全て善かれかし」という宇宙の意思がある。その大流に逆らうことは人の道に外れることでもあるだろう。宇宙の大流は人生の王道を歩くことでもある。

そんなことを機内で考えていると、あっという間に新千歳空港に到着だ。

小林 博重

日帰りの札幌出張

20時に就寝、3時に起床。日々8時間の睡眠が理想な日常生活のベースになっている。
今朝は2時半頃目が覚めた。額に手を当てて、体温が正常であることを確認し、ホッとした気持ちで事務所に出かけた。
これがコロナ禍の最近の私の朝の行事になっている。

しかし、世の中、なかなか、思ったようにはいかない。20時以降まで起きていたり、3時前に目が覚めてしまったりしてしまう。世の中はそんなものだと思わないと、そんな感性的悩みがストレスになって心身の体調が狂ってしまうことになる。 人間、真面目一辺倒だと生きづらい。ちょっとアバウトなところがあるのがいい。
私は最近になってようやくこの両面が身についてきたようで、これが第二の生が「下駄を履いて」スタートしたということだろう。

ありがたいことに、私の周りには多くの人たちがいらしてくださる。その人たちは、玉石混交ということか、玉もあれば石もある。

その見分けは一度会っただけで100%分かれば苦労はしないのだが、そうは問屋が卸さない。
慎重居士であれば、ちょっと胡散臭い人と思ったら深入りはしないで遠ざけるのだろうが、私はそれができるような性格ではない。
それが性悪な人に騙されてしまうことにもなっているのだが、私のような愚者でも「経験から学ぶ」ことは多く、少しずつ成長してきたように感じている。

人間は性善だが性弱な動物だから、ウイルスのバリアを構築する努力をしない人はその性が弱いため、ウイルスに侵されてしまう。そのような人との距離を取ること(コロナでいえばマスクや手洗いを欠かさないこと)で、ウイルスを避けることができる。私ももっとバリアを構築する努力をしなければいけないと思う。

それには、素直な心で真実を見つめることだ。そして、恕と慈愛の心で相手と付き合うことだ。人さまのおかげで今の自分があると感謝の心を持つことだ。自分は大したものではないと人さまのおかげで生きているのだと思うと自ずと謙虚な心になる。

そして、相手との相応しい距離感を決めて、それなりに付き合うことだ。それでも騙されることがあるかもしれないが、それは人を見る目が今一だったのだ、まだ修行が足りなかったと思うことだ。それは相手を恨むことではなく、自分の至らなさのせいだと自責の心を持つことだ。

穏やかに、心静かに、ちょっと一呼吸置いて、言葉を発することだ。

今日は、日帰りの札幌出張だ。
冬の札幌は何年ぶりだろうか。10年以上かもしれない。いや、銀行の札幌勤務は40歳前半だったからもう30年近く前かもしれない。

12月に札幌勤務を命ぜられた雪の札幌。妻が運転して行った夏の道北と道南の家族旅行。東京転勤が決まって、タクシーで周った雪の道東旅行。 私は法人営業課長をしていたので、定期的に全道の信用金庫を訪問していた。北海道旅行をしているようなものだった。
家族旅行は私の旅の行き先の紹介でもあった。遠い昔のことだ。

小林 博重

安藤裕美さんに『出陣式』の司会をお願いする。

昨夕、安藤裕美さん(日欧フーズ副社長)に事務所に来ていただいて、6月4日午後(13時〜16時)に行なう私の第二の生の「出陣式」について、司会をお引き受けいただきたい旨お願いをした。そして、即、裕美ちゃんから快諾のご返事をいただいた。あとは、3月にはコロナ第六波が落ち着き、生前葬と出陣式の打ち合わせ、準備活動が順調に進み、4月にご参列をしていただきたい方々にご案内を出すことができることを願うばかりだ。

また、3月には裕美ちゃんとYouTube用の対談をしたいとのお願いもした。こちらのほうも快諾いただいた。

対談のテーマは、
①彼女との出会い
②安藤明さん(裕美ちゃんのお祖父さん、昭和天皇とマッカーサーの会談の影の仕掛け人)のこと
③同じく私淑している稲盛和夫さんのこと
④生きるとは、働くとは、人間にとって幸せとは何か等々、二人の人生哲学について
彼女と話す話題は尽きない。

彼女とは親子ほど年齢は違う。私の三男より1歳歳下の女性だ。
私に娘はいない。彼女は、私の可愛い愛娘だ。そんな娘と、人生の話をする。生きる意味について話をする。何と私は幸せな人間だろうと思う。

やはり、人生のスタートには心が通じ合っている愛娘に司会をお願いしたいと思う。

✴︎安藤明さんのことを書いた本はいくつかある。
その中でも詳しいのは「昭和の快男児、日本を救った男、安藤明」(古川圭吾編、中山正男著、講談社出版サービスセンター)

その帯には、

半世紀余の時を超えて、歴史の封印が解かれた終戦秘史!

敗戦日本ヲ救エ!
終戦直後、焼け野原の東京・築地に「大安クラブ」が誕生した。多数の美女たちが雇われ、GHQ高官相手に接待攻勢が繰り広げられた。 酒、女、破格の贈り物・・・・・私財を投げ打って、この昭和「鹿鳴館」を開設した男の名を安藤明という。その目的はただ一つ。

天皇制護持ー。

歴史の彼方に消え去った快男児の生涯が甦る。

小林 博重

慈とは何か。

蔓延防止重点措置期間は雌伏の時と思い、解除後のビジネス展開の準備期間と前向きに捉えることだ。身に降りかかる全てのことはいいことでも悪いことでも全てを磨き砂と考えることで、人生は明るく幸せで豊かなものになる。

今週は札幌、再来週は富山の出張があり、コロナ感染防止対策を万全にして出張することにする。
来週の長崎・福岡と京都の出張はキャンセルになった。これからの出張のアポは2月中旬以降に入れることにする。

昨日は南麻布了聞にて、馬形さんと小野里さんと、6月4日に執り行う生前葬と出陣式について打ち合わせをした。
まだまだ先だと思っていたが、イベントまであと5ヶ月弱しかない。時はあっという間に経ってしまう。

生前葬は6月4日(土)午前に南麻布了聞にて行なう。
瑞華院の福井住職から不動院の戒名を頂戴し、そのあとで生前葬を行なうことになる。約50名の方々にご参列いただく予定だ。
生前葬の写真は、写真家の齊藤文護さんに、また動画撮影はankスタッフにお任せしている。動画はYouTubeからもアップする。
葬儀委員長は、私が大学応援部以降、半世紀に亙りお世話になっている井口一弘さんにお願いしている。また、司会進行は了聞の前川さんにお願いすることになるだろう。

生前葬を終え、50名の参列者の方々はマイクロバスで神宮球場傍の日本青年館に向かう。
日本青年館ではOUEN Companyの方々150名が参集いただいており、合流して200名にて、私の第二の生の出陣式を行なう。

私の想いとしては、生前葬の流れでもあるので、「幸せに生きる」ことをテーマに福井住職にご講話をいただきたいと考えている。
死を考えることは「幸せな生」を考えることでもある。世界情勢、コロナ禍等、世知辛い世の中を如何にして幸せな心で生きていくか。

私が生前葬を執り行おうと思ったのは、70歳の古来稀なる古稀まで生き生かされてきた、この歳で区切りを付けて、新たに第二の生の50年を明るく幸せに生きていきたいと思うに至ったからだ。
幸せに生きるために、生きたままで死ぬことだ。それはこれからの生を、より良く生きるためである。

打ち合わせの最中、私は『慈愛』という言葉を思い浮かべた。

ウィキペディアでは『慈』について、下記のように記してある。

慈(英語では、loving-kiodness)とは、仏教の概念で人々(生きとし生けるもの)に深い友愛の心、慈しみの心を持つこと。また、それらに楽を与えたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「与楽」に相当する。慈愛とも訳される。

「いつくしむ」は「慈しむ」とも「愛しむ」とも書く。慈は愛である。仏教もキリスト教も表現はさまざまだが、その本質は慈なのだ。

「自利利他の心」
「自分の利を求めるなら、まず他を利することから始めよ」と言うことではないか。
「忘己利他(もうこりた)」のレベル、己を忘れて他を利する、滅私奉公のレベルには凡人は辿り着かない。しかし、自分が一番可愛いのであれば、その可愛さを追求するためには相手のことを慈しみ(愛しみ)、相手のことを考えて尽くすように努めることだ。
この自利利他であれば、凡人でもできることではないか。自分を究極まで愛するのであれば、それは人のために尽くすことからなのだ。「情けは人のためならず」と日本の諺にもある。

お釈迦様はそれをどのようにお話しされているのだろう。福井住職には、そのことを私のレベルでも分かるようにお話しいただきたい。

そんなことを考えた。

小林 博重