帰って来たラッキー

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日本列島に数年に一度の寒波が来ているという。今朝の東京は今年一番の寒さだ。そして、日本海側は大雪だ。
私が生まれ育った能登は高い山がないため、立山連峰がある越中富山や白山がある加賀とは違い、さほど大雪に遭遇することは少なかった。しかし、昭和39年の豪雪では、道路に積もった雪に屋根から落ちた雪が重なり、それでなくとも狭い道路は幅1mくらいになったことを鮮明に覚えている。
私が飼っていたスピッツのマリはこの「39年豪雪」で車に轢かれて死んだ。
そんなこともあり、父は生まれたばかりのスピッツとシェパードを七尾の友人から貰ってきてくれた。私はスピッツを「ハッピー」、シェパードを「ラッキー」と名づけ可愛がった。私はこの2匹を一緒に育てた。そして、玄関にはハッピー、背戸にはラッキーをおいたのだが、2匹とも番犬の役割は果たしてくれなかった。2匹とも大変人懐っこい犬で人に吠えることは全くなかった。犬は飼い主に似るというが、まさにその通り、この2匹は「お人好しの犬」だった。
何年か経って、その人の好いラッキーがチェーンを切って居なくなってしまった。私はもう帰ってこないと諦めていた。
1年経った頃だろうか。夏休みに家の電話が鳴って「おまんち(お宅)のラッキーが小学校でドッヂボールのボールを噛んで割ってしまった」と。
学校に行ったら、まさにラッキーがいるではないか。そして、ラッキーは私のところに駆け寄ってきた。そのことを「帰ってきたラッキー」と作文に書いたところ、それが石川県の懸賞作文で表彰された。 それから何ヶ月経って、またラッキーはまた浮浪の旅に旅立っていった。
ハッピーはと言えば、私が高校1年で金沢に下宿していた時、祖父が仕掛けた「ネズミ取りの毒」を飲んで死んでしまった。
大雪が降ると、私は3匹のペットのことを思い出す。3匹の死の体験があり、私は「決してペットは飼わない」と思う。
祖父母と父の肉親の死は勿論だが、ペットの死も同様だ。ペットは人間にとって家族なのだ。
「死」という別れが人の感性を豊かにする。
「苦は楽の素」「苦を楽しむ」と言われるが、死=苦によって、人間は成長するものだ。
小林 博重