JR東海拓殖会長との再会

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昨日(24日)は共立メンテナンス中村社長、岸名古屋支店長同行にて、JR東海品川本社に拓殖会長を訪問した。拓殖さんは東大応援部の2年後輩だ。 拓殖さんはブラスバンド部、幹部の時はブラスバンド責任者として神宮球場で頑張った。
応援部は3パートあって、私が属していたリーダー部、拓殖さんのブラスバンド部、それに私が卒部して数年してできたチアリーダー部だ。この3パートのコラボレーションは日本の応援にしかないらしい。
OUEN Japanのネーミングは、台湾出身で法政大学卒の李佳容さん(ベネフィット・ワンに勤務していた)の「日本の応援スタイルは素晴らしい。小林さんが創るNPOのネーミングはOUEN Japanがいいのではないか」とのアドバイスに依る。
東京六大学野球は東京の6大学(東大、早稲田、慶應、明治、法政、立教)間のリーグ戦で、春と夏の年2回、明治神宮球場で開催される。大学野球のリーグ戦は全国各地で開催されているが、天皇杯を下賜されているのは東京六大学野球ただ一つの伝統ある大会だ。 昭和30年代は立教の長嶋、40年代は明治の星野、法政の田淵、山本浩二等、プロ野球の名選手を輩出した。
私の現役時代では、4年の幹部(昭和49年)の時、東大以外の5大学に甲子園組が入り、久しぶりの人気のリーグ戦になった。
法政の江川の最初の1敗は秋の東大戦だった。この時の感激は今でも強く印象に残っている。
拓殖さんとはそんな話に花が咲いた。
大学応援部だけの付き合いだが、半世紀経っても昨日のことのように心は昔日に帰る。利害関係がない付き合いは今で言うサスティナブルな付き合いになるのだ。
拓殖さんや第一三共社長の眞鍋さん等、ブラスバンド出身が大組織のトップになっている。
私はリーダー部で、組織の中でトップを目指そうと銀行に入ったのだが、私自身の個性の問題だろうが、どうしても我慢ができずに飛び出してしまった。 組織で偉くなる人は素晴らしいと思う。私には向いていない。
私のような生き方をするのは、それはそれで個性を活かして、得手を磨いて社会貢献をするのであれば、それも良しということだろう。
人それぞれ、悔いのない人生を生き抜くことだ。
小林 博重