他業種の多くの人たちからご連絡いただきお目にかかる。私からも多くの人たちと連絡を取る。
「類は友を呼ぶ」諺通り、私の人生観やキャラクターをよくご存知の人たちが「小林は福の神」だと思っていただいていると勝手に思っている。
時には、心の濁った人たちも声をかけてくる。こちらのほうは「類は友を呼ぶ」とは真逆だ。今までの私はダボハゼと言われて、全ての来る人は拒まないでいたが、そのような輩は強かさでは私が及ぶところではない。何度も手痛い目に遭ってきた。
やはり、これからは、君子ならずとも「君子危うきに近寄らず」の諺をモットーとしたい(かの渋沢栄一翁もそのようなところがあり、いろいろと痛い目に遭っていらしたようだ)。
昨日は午前のビジネスマッチングはスムーズに進み、来春早々、コラボレーションのスタートを切ることができる。
午後一番はドタキャンがあったが、「転んでもただでは起きない」を実践して、新たなビジネスマッチングの機会をつくることができた。
写真家の崔珉徑さん(ミンちゃん)が事務所に訪ねてきて、私の誕生日祝いのシャンパンを持ってきてくれた(彼女は、28日の誕生日会には仕事で参加できない)。
もう日本の生活が韓国よりも長くなったのだとか。日本語も韓国なまりはなく、日本人以上に日本語を話す。しかし、今のところ日本に帰化する予定はないとか。日本に帰化することは母国を捨てることにもなると考えるのだろうか。私のふるさと石川能登への想いと同じだろうと思うと、腹にストンと落ちる。よく他国で頑張っている。私のできることはしてあげたいと思う。
夕方は馬形さん(安田信託の後輩、南麻布了聞の顧問)がデロイトトーマツの作井博さんを事務所にお連れになった。
作井さんは安田信託銀行時代の後輩で金沢市の出身だと。
平成1年入社といえば私が人事部の時だ。昭和60年から採用担当をしていて、平成1年は人事企画の仕事だった。採用の手伝いはしていたが、それは昭和時代までだった。作井さんは同じ石川県出身でもあり、新入社員の頃は私に会って話をしているとか。そう言われるとそのような気がする。 そして、少しづつ思い出した。「石川県出身で『作井』という珍しい名前の男がいたな」と。
齢70にもなると認知症と言わないまでも、間々人の名前が出てこない。相手が覚えていることでもこちらは全く覚えていないことが増えてきた。いただいた名刺は何千枚もあるが、年賀状の宛先整理のため名刺帳をめくると、こんな人にいつ会ったのだろうと、自分でもビックリする。
やはり、ここは一旦生前葬で区切りをつけて、新しく生まれ変わって人生をやり直すことだ。
来年6月4日の生前葬と出陣式を企画したことを妙に納得する。
人生はそのようになっている。巡り逢うことは全て必然だ。神が、天が、そのように仕向けているのだ。苦労に遭遇してもそれも必然。それを自分がどう受け止め、前に進めるか。明るく前向きに人生を見ることが幸せな人生を送ることになるのだと改めて思う。
昨日の巡り逢いは全て必然。私の想い次第で全てを善き方向に向けることができるのだ。
小林 博重