早いもので、今日は11月1日。今年は新型コロナや例年にない酷暑の夏で、季節の移り変わりを愛でることなく過ぎた一年だった。アッと言う間に霜月11月だ。私も今月で68歳になる。
人生も同じだ。人生100年は長いようでも振り返れば、まさに「光陰矢の如し」だ。神宮球場で東京六大学野球応援に青春を燃焼させていたのは遙か半世紀前だが、ついこの前のことであるかのように思い出される。そのわけは、私の日々の活動が往時同様の応援人生であるせいか。
私は七転八倒しながらも「応援」を私流に哲学にまで高め、揺るぎない不動のものにしてきた所以だと自負している。勿論、その高みは遥か天上にあり、その道は遙か深淵である。日々の切磋琢磨によって、少しでも近づいていきたいと思うものだ。
私の座右の銘は、「敬天愛人」と「応援人生」だ。
『敬天愛人』
道は天地自然の物にして
人はこれを行うものなれば
天を敬するを目的とす
天は我も同一に愛し給ふゆえ
我を愛する心を以て人を愛する也
天を敬い、人を愛する。
それは稲盛和夫さんが仰る「6つの精進」でもある。
1.誰にも負けない努力をする
2.謙虚にして驕らず
3.毎日の反省
4.生きていることに感謝する
5.善行、利他行を積む
6.感性的な悩みをしない
『応援人生』
応援は「援(たす)けに応える」ことである。人が困っていて援けを求めていれば、それに応えるべく、自分ができる限りのことをして差し上げることが『応援』の本質である。そして、応援は一方通行ではない。人の応援をした時、その人からの「ありがとう」が私への応援である。応援はキャッチボールなのだ。投げたら投げ返す。いい球を投げたら、いい球が返ってくる。その双方向の心のキャッチボールが応援であり、その応援の交換により、お互いが成長する。その拡がりは「友だちの友だちは皆友だち」として拡がっていき、好循環の世界が生まれる。応援の原点は「世のため人のために尽くす」と言う知行合一の行動学である。
私は敬天愛人と応援人生の後半生を送るべく、努力精進していきたいと思う。
小林 博重