2泊3日の出張でも、出張明けは体調の調整や仕事の滞りの作業があり、通常への回復にはどうしても一日かかる。昨日の夕方になってようやく平常に戻った。
昨夜は早めの夕食を終え、7時前には床に就いた。孫たちよりも早い就寝だ。そんなに早く寝ると真夜中に目が覚め、深夜2時には目が冴えて、もう寝ていられない。 おかげさまで事務所は自宅から徒歩2分のところにある。始発電車は関係ない。2時に事務所に着き、ベランダの植木に水遣りし、パソコンを始動する。 昨日は気乗りしなかったメールの送信を数件発信し、今日のアポイントの準備をする。
5時に朝風呂にゆったり浸かり、心を落ち着ける。
来月で68歳になる。もう68歳なのかと思う。特に、一昨日まで石川県に出張し、その内2日は能登だったことがそんな気持ちにさせる。
七尾線で私の生まれた中能登町を通る。やはりふるさとは懐かしい。幼い頃を思い出す。「ふるさとに錦を飾ろう」と青雲の志に燃えていた。今の私は、往時の私が想っていた「身を立て名を挙げる」人生とは全く正反対の人生を送ってきた。
44歳、サラリーマンとしてエスカレーターに乗ることを潔しとせず、自分の能力も考えず、日本海の荒海に飛び込んだ。
甘ちゃんの私には疾風怒濤の世界が広がっていたが、七転八倒、紆余曲折の日々のなか、何とか24年が過ぎた。よく生きてきたものだと思う。
苦労人から見たら何でもない経験だと思うが「籠の鳥」だった私にとっては試練の連続だったのだ。だから、よく生きてきたなと思う。そして、私は運が良かったのだと思う。
68歳にもなれば、同期たちは悠々自適の生活を送っている。人生では白秋だ。玄冬の入り口にいる人も多いだろう。
しかし、私はそうであってはいけない。なぜこの世に生を享けたかを考えると、このままでは終わることができないと思う。
50代の時は、まだ身体の不調を感じることはなかったのだが、60代後半にもなるといろいろなところにガタが来だした。
気持ちはあと30年の現役とは思っているが、身体はそうではない。30年全力疾走する走り方は今までと同じで完走は覚束ない。それをよくよく考えなければならない。
ただ一つ、私が誇れること、自信を持って言うことができることがある。
それは”評判”と言うソフトだ。お金は全く貯まっていないが、”評判”だけは他の追随を許さないと自信を持って言うことができる。
坂本龍馬は言っている。
「金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事を成すのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然に集まってくるさ」
そうだと思う。それを私は証明しなければならないと思う。
今までは、お金を貯めることができないことを「私の生き方」であると居直っていたところがある。ボランティアをしているからとか、種を撒いている時期なのだからと。そんなことをしていたら、すぐ30年が経ってしまう。その前に、コロナか癌か脳卒中か心臓病かで、あっと言う間にあの世行きになるかもしれない。 「焦らず焦る」という真逆のことを成り立たせることだ。
67歳までは種まきの時期としよう。小林の評判は相当なものだ。それだけは実績として評価できる。
68歳からの32年間は、その評判をベースに”世のため人のため”に尽くし、その分お金を稼ぎ、天が私に求めている「ミッション」を果たすことだ。
私のミッションとは「地方創生」
具体的には、生まれ故郷の石川県、その中でも能登。
そして、九州。長崎から九州に拡げる。そのため、九州の兄貴分”福岡”の役割は極めて大きい。
本腰を入れて頑張ろう。私の足らず分をカバーしてくれる人たちは少なからずいるのだから、彼らの力を借りて。
小林 博重