能登に向かう"能登かがり火"に乗る。

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特急能登かがり火1号(金沢発8:56〜七尾着9:48)にて七尾に向かう。
今日は、七尾の恵寿総合病院、のと共栄信用金庫、和倉温泉の加賀屋を訪問し、18時過ぎに金沢に戻る。19時から片町の居酒屋で、9月15〜16日に開催した、オンライン[OUEN塾金沢/石川]の慰労会に参加する。学生リーダーたちは13名が出席するとか。
能登はやさしや 土までも
日本海に突き出た能登半島には心優しい人たちが生活している。能登の人たちは皆、人が好い。
跡継ぎはあんか(長男)で、おじ(次男)やこっぱ(三男)は、都会に出る人が多い。都会はほぼ大阪や京都の関西地方(石川県は関西文化圏)に出ることが多い。彼らの職業は豆腐屋か風呂屋だったそうな。
能登の人の人の好さ。口達者な都会の人には騙される。能登の方言は都会の人には馬鹿にされる。だから話さない。話さなくてもできる仕事は豆腐屋か風呂屋だった。朝早くから起きて、夜遅くまで、コツコツ地道に精を出して働く。能登の人にはそれが一番相応しい(私もその血が流れている)。
私は卒業式で送る側が歌う「蛍の光」と、送られる側が歌う「仰げば尊し」に涙を流したものだ。
蛍の光窓の雪
書(ふみ)読む月日重ねつつ
身を立て名を挙げ
やよ勤めよ
能登から出て、立身出世をしなければと思った。
能登かがり火は、金沢〜羽咋〜七尾と1時間足らずで七尾に着く。私が生まれた「能登部」には止まらない。半世紀前を思い出す。私は1時間半を掛けて金沢の高校に通ったものだ。
能登に向かう列車に乗ると、いつも私はセンチメンタルな気分になる。ふるさとは懐かしく、しかし哀しいものだ。
金沢が生んだ詩人、室生犀星の詩を思い出す。
ふるさとはとおきにありておもうもの
小林 博重