「100年人生を生きるコツ」
⑶「もうトシだから、そろそろ考えるぞ」
今後、定年が延長していくことが予想されますが、日本は人口が減少していくのだから、少なくとも七十五〜八十歳ぐらいまでは、生産的な頭でいる必要があるでしょう。
小学校や中学の同級生を見ても、優等生ほど早く年をとっている一方、暴れん坊だった人は案外長生きをして、わりとおもしろく生きている。 「もうトシだから、そろそろ考えるぞ」って言ったほうがいいんですよ。
こどものときはせっせと知識を集めて、大人になったら人のつくった知識はちょっと忘れて、自家製の手前味噌でも、とにかく自分で考えたことで勝負するのです。
職人とか芸術家もそうでしょう。先生について基礎を学び、工房に入ったりして師匠の作風でつくっているけれども、ある程度までいったら、それをいったん捨てないと自分のスタイルができない。 先生についているだけでは、先生もどきみたいな作風でしかないのです。
昔の人はそれがわかっていたから、芸術を志す人は学校へ行きませんでした。学校などで知識を教わるごとによって人間や創造性ができるという考え方は、古いんじゃないでしょうか。
⑷おもしろいことがあれば大丈夫
九十代になったら違った境地になるとか、新たなものが見えてくるかとか聞かれることがありますが、いくつになってもあまり変わりません。
戦争を体験してきたので、こどものころから、とにかく命が大事と思ってきた。その思いはいまでも変わりません。
命が大事で、それに比べれば社会的な評価や職業などは、だんだんどうでもよくなってきます。ある程度のたくわえも必要だから、いちおうの準備はしておく。これもそのうち、もうこれ以上カネをためる必要はないという境地になってくる。
すると、おもしろいこと、明日が楽しみというものがあるかないかで、年のとり方が大きく変わってくるのです。
「百歳まであとどれくらい」と言われても、数字はあまり当てにならないからね。その気があってもなくても、生きるときは生きる。
何でもいいんですが、おもしろいことがあれば、あまり年を気にしなくなるんじゃないか。年を気にしないのが、いちばんいい年のとり方じゃないかと思います。
知的なものは知識が中心で、文法でいうと過去形。昔の事実、あったことを基本にして考えるものです。
でも、頭は過去形だけでなく未来形でもはたらきます。むしろ、未来形で頭がはたらくほうがおもしろいことが出てくるのです。