昨夜、ビジネスパートナーとLINEのやり取りをしていた時、その話題がなぜか「稼ぐ」ことがテーマになった。傍に妻がいたので、そのような内容を話題にしたところ、「働くことと稼ぐこと」の関連性に拡がっていってしまった。
私の仕事のやり方は、私の身の周りに起こること、私と多かれ少なかれ関係があった人たちを有機的につなげようと、それもBusiness to Businessというのではなく、小林流の自然体で、心と心をつなげていく、つなげてしまう、私ならではの、これを私は誰も持っていない「得手」にしているのだが、妻は長年連れ添っている夫婦の第六感もあるのだろう、私の「得手」はビジネスパーソンとしては超一流と思ってくれているのだと思う。
しかし、「お金を稼ぐ」という一点では、私は「底が抜けたバケツ」なのだとか。
それなりに稼いでもバケツに水は貯まらないのだと。私はお金よりもっとずっと大事な人間との心のつながりを多くの人たちと作っていると言っても、それは負け惜しみなんだと。
勿論、お金は大切だ。お金がないと私が目指すところのことはできないことが多いのだから、私は「お金を稼ぐ」意味は充分分かっているつもりだ。 しかし、お金を稼ぐことができないのは稼ごうと言う思いが足りないのだろう。
稲盛和夫さんは思い続ければ夢は必ず実現すると仰っていてそれを実現した人だが、稲盛さんをメンターにしている私はその思いはまだまだ中途半端なのだろう。ほんとに「お金を稼ぐ」意味を分かっていないのだろう。
確かに、私はOUEN JapanというNPOを設立して、少しずつだが、OUEN Japanは市民権を得てきているが、それゆえにOUEN Japanを隠れ蓑にして「お金を稼ぐ」ことに真剣に向き合っていないのかもしれない。そのことをやんわりとビジネスパートナーにも指摘された。
お金を稼ぐことは、「世のため人のために尽くした」証明でもあるのだから、私はお金を稼いでいないことをもっと恥ずかしく思わなければならないのだ。
私はいつも「利他と利己を哲学する」ことをしている。
そして、究極の利他は究極の利己なのだと「小林博重の哲学書」には書いてあるのに、お金を稼ぐことを中途半端な利己だと思っているから稼げないのだ。 究極の利己=究極の「お金を稼ぐこと」なのだと肝に銘じなければならないのだ。
私はこの点では悪い見本の男脳なのだ。その点、ビジネスパートナーはバランスがいい女脳なのだろう。ビジネスパートナーから徹底して教えてもらおう。
昨夜、そんなことを考えながら、床に就いて我が半生を振り返って反省した。
そして、改めて、私のこれまでの人生は反省の日々ではあったが、後悔する人生ではなかったと、確信を持って思った。これは決して痩せ我慢ではない。心からの真実の言葉である。
小林 博重