小林博重を推薦する。(6)

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本田一男さんは共立財団日語学院学院長である。
共立メンテナンス中村常務のご紹介だ。中村さんも石川県出身だが、本田さんは石川県でも私の出身地である中能登町の隣の志賀町出身。ざっくばらんで明るい。「へぇー、こんな人が能登にもいたのか」とそのチャーミングさに魅かれた。
本田一男さんに小林博重を語っていただいた。

「小林博重の第一印象をお教えください」

3年ほど前からのお付き合いです。小林さんはざっくばらんなご気性で非常に馬が合いますね。

優秀で明るくて行動がとにかく早い!なにか話するとすぐに行動を起こしてくれるっていうのが信頼につながっています。何故か、親しげに連絡をできる間柄。

初めは、人間性というより同じ郷里っていう親しみが強かったですね。高校野球も出身校じゃなくても故郷の高校を応援するものでしょう。 最初に会った時に同じ郷里にこういう明るい人がいるんだなと思いました。能登って、風土的にあんまり賑やかな人っていなくて寡黙な人が多いんです。時代が変わって昔と今は多少違いますけど「能登は優しや土までも」っていう言葉があるくらい、根は非常にこころあたたまる優しい人間の集まりばかりだと思ってます。

彼の故郷と私の故郷はほんのちょっとした峠を超えたところにある程近いので、「こんなところから東大いった奴がいるのか」みたいな思いです。近くにも七尾高校や羽咋高等学校という、県内でも上位の学校がありますが、それらの高校へは行かず、金沢市にある金大附属高校までいっていたというのでやっぱり優秀なんだと。更に東大で応援団の団長やってたというので、なお珍しい。周りの同級生で東大いった人、ましては応援団の団長やってたとなるとあんまり聞きません。稀な人ですね。

<お二人の共通点、石川県>

関東石川県人会は大変華やかで、1000人は集まります。加賀藩の影響があって、一番最初に石川県人会できたのが、板橋区にある帝京高校、帝京大学です。あの辺り一帯が板橋区加賀という地名なんですね。学校名も金沢小学校とか加賀中学校とか現存しています。加賀前田家の下屋敷があったところ。そこで身支度を整えて本郷にある上屋敷の門をくぐるというわけで、それが現在の東大赤門辺りです。人ですからなにかきっかけを理由にして作る。たぶん設立してから17年くらいと聞いてますから一番古い県人会ですよ。

「小林博重の人柄、人物像とは?」

一言で言うと、実直な人、飾り気がない人です。話をしても話が遠のかない、すぐ行動してくれるから信頼できます。人によっては会ってすぐ仕事の話する人もいるけど、そういう人は大っ嫌い。(笑)なに、利用するの?っていう気持ちになりますね。食事会とか回を重ねるごとに信頼を築いていくもの。

私は日本に来た外国人の方に日本語を教える「日語学院」の学院長をしていますが、彼も留学生の応援をしたいということで、縁を感じました。

豪快に笑うし、応援団って言いながらスポーツマンそのものっていうイメージ。明るい人だし、賢人。おおらか。こちらから依頼しているわけでもないのに「何か力になれること探してみるよ」っていう感じだから、どんどん距離感が近くなっていきます。OUENJapanの望年会でも自分たちのテーブルはみんな石川県出身とか、いろいろ気を遣って呼んでくれています。

正直、口だけの人っているでしょう(笑)彼は、仕事を任せても真剣に真摯にやってくれるので信頼できます。ああいう人間性ですから非常に真面目で、横にそれるタイプじゃないので信頼のおける人。真面目な男で、しつこくありません。

小林 博重