68年間生きて結果オーライの人生だった。いつもあと何年この世で生を全うできるだろうかと思う。
李登輝総統は「死を意識して、世のため人のために尽くすことを考えることができる」とお話しされていたが、全く同感だ。
吉田松陰は30歳か、坂本龍馬は32歳か、西郷隆盛は45歳か、維新の英傑は皆若くして大事業を成し遂げたが、彼らはそんな若い時に死を意識していたのだろうか。松陰や西郷は牢に閉じ込められ、そこで自らの哲学を昇華させた。龍馬は自由奔放な気性のなかで、世界の中の日本を達観することができた。努力と天才。いずれも無私利他の思想の域に達したから若くして名を成したのだろう。
凡人であり愚者である私は、馬齢を重ね還暦を過ぎて、無私利他の入口に辿り着いたところだ。偉人の足元にも及ばないが、小粒ではあっても私なりの事業を成し遂げて棺を覆いたいものだ。
「人生二毛作」と思った、そう思わなければ生きている意味がないと思ったのは50歳年前後のころだろうか。そう思わなければ、それまでの50年、何を成したのだろうかと愕然とした思いを持ったからだろう。
「怒髪天を衝く」という言葉がある。怒ったために頭髪が逆立って、被っていた冠を突き上げるという意味だ。尋常ではない、凄まじい怒りの形相のことだ。
私は本質的に短気なのだろう。そして正義感は人一倍強いと思う。筋の通らないことには我慢がならない。怒髪天を衝くことは一生に一度か二度だろう。44歳といえば、話題の半沢直樹の歳だろうか。怒髪天の思いがあって、若気の至りと言われても致し方ない。これは人生二毛作の一毛作目で終わりにしたい。二毛作目は少し大人になって、後半の50年間を生きていきたいと思う。
では、「怒髪天を衝く」怒りが湧いた時、どうしたらいいものか。
一つ、その怒りをグッと堪えて、節を曲げて生きていく。
普通のサラリーマンはほとんどがこんな生き方をしているのではないか。逆らったら冷飯を喰うことになる。場合によっては退職の道を歩かなければならない。
二つ、その怒りを真正面からぶつける。
こうなると、サラリーマンは退職を選ぶことになる。その気性を持って、その組織では生きていけないからだ。私もその1人だった。
そして、第三の道がある。大人の道だ。最も賢い道だろう。
それは、一とニをアウフヘーベンすることだ。
衝突を起こさず、しかも、強かに思いを通す生き方だ。賢い大人でなくてはなかなかできない。
人には夢がある。
人には心を通じた仲間がいる。
美しさ、純粋さ、真摯さ、を貫く気持ちを持つことだ。
そして、強かな賢い、心と知恵を持つことだ。
そして、具体的な絵を描こう。
ネバーネバーネバーギブアップ
ようし、一段とやる気が出てきた。
小林 博重