やっと本格的に秋に突入したようだ。今朝などは5時前に事務所に出かける時は長袖長ズボンでないと外出できないほどの気温になった。
今日は9月末。明日から10月に突入する。月末の送金をインターネットバンキングで終え、10月の準備作業をする。一日早いが、9月のカレンダーをめくり、10月に切り替える。一日先だが気分の問題だ。特に掃除機をかける必要はないのだが、10月のスタートだ。心を掃除する。 「先んずれば人を制す」という。できれば一日でも早く、仕事は先んじたいものだ。気分一新でもある。
今日は何もアポイントが入っていない。昨日もウォーキングをしたが、今日も晴れ渡る秋空の下、2時間半のウォーキングを楽しもうと思う。そして、新しい10月の月を迎えようと思う。
「できた人」とは縁遠い私だが、歳を重ねて少しずつ人とのトラブルは少なくなってきたように思う。銀行時代の21年間は銀行員から外れた、いいように言えば「型破り」の銀行員人生を送っていたが、やはり壮年と言われる脂ぎった歳にもなると「そろそろ銀行員らしくなってくれ」と言われることが多くなった。課長以上になると、そうならないと偉くなれないらしい。
バブルが弾けて、銀行は180度変わらなければ生き延びることができない時代になった。銀行から言わせれば、お客様でなく、大蔵省を向いて仕事をしなければならない時代になったのだ(今もそのようだ。楽な仕事はどこにもない)。 自らもいろいろな事件を起こしたり、身に降りかかってきたこともなにやかやあった。半沢直樹もどきのような"若気の至り”もあった。 そして、前後の見境もなく銀行を飛び出したのだが、今となっては「結果オーライ」だと思っている。そして、苦労を楽しむ心境で仕事ができるようになった。
ビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言ったとか。
私は愚者であるがゆえに、机上で歴史を学んでも、それは血肉になっていなかったのだろう。すなわち、愚者であるがゆえに自らの経験からしか学ぶことができなかったのだ。それゆえ、還暦を過ぎてから漸く”天から与えられたミッション”の一欠片を悟ることができたというところだ。 だから、私には、ミッションを果たすには”長生きすること”が必須なのだ。
夭折した人は天才か。幼くしてミッションを果たしたのではないか。
私は愚者であるがゆえに長生きしてミッションを果たしたいと思う。
ビジネスは「商才がある人」でないと成功しないと言われるし、世の中の人たちはみんなそう思っている。
水戸黄門漫遊記でも悪徳代官と悪徳商人がヒール役になっている。江戸時代では士農工商の社会であり、商人が身分は一番低い。商人は術策を弄する強かな人間であると思われているからだ。 しかし、そうではない。
愚者なりに私の経験から言わせていただければ、ベースにピュアな心がないと人は付いてきてくれない。北島三郎の「兄弟仁義」ではないが、 ♪俺の目を見ろ 何にもいうな♪
目が美しく澄んでいなれればならないのだ。
術策を弄する人たちは、決して世の中を動かすことはできないと思う。志高い仲間たちが集まって事を成すのでなくては大事は成し遂げられないのだ。
大人になることは決して濁世に染まることではない。濁世に生きながらも、主義や純潔を固守して、目的を果たすことが本当の賢い大人であると言える。
妥協するのではない。心から思うところを説き、相手の心を開かせてこそ、正道を貫き、夢に近づくことができる。
そのことを忘れてはならない。
小林 博重