4連休の最終日だ。今日も爽やかな秋空だった。2時間半のウォーキングで靖國神社を往復した。これが私のいつものウォーキングコースだ。
9月19日、安倍前首相が7年振りに靖國神社を参拝した。中国は現役の首相が参拝すれば非難するが現職を離れると非難はしない。安倍さんはずっと靖國神社に対する想いは変わってはいない。中国は現首相が参拝することが許せないのだろう。本人の想いは全く変わらないにも関わらずだ。国際政治とは本音と本音のぶつかり合いということはないのだろう。それは国内政治でも変わらないのかもしれない。だから政治は駆け引きばかりが目立つ。だから、それが政治家の本来のあるべき姿と思ってしまう。そうでない本当の政治家はいないわけではないだろうが日本にはそんなステイツマンはお目にかからない。"日本の李登輝、今こそ出でよ‼︎"の想いは私だけではないだろう。
法政大学から初めての総理大臣が出た。今まで東京六大学からは、東大を筆頭に、早稲田、慶應、明治から総理大臣が出ている。法政が出て後は立教だけだ。
私が応援部主将の時、甲子園組が東大以外全て1年生に入学して神宮は一躍華やかになったことを鮮明に覚えている。その筆頭が法政の江川選手だ。彼は慶應を希望していて受験勉強のため野球としばらくおさらばしていたのだろう。昭和49年春のリーグ戦には最終戦に肩慣らしで東大戦に出てきた。その時は、東大は打つことができず、敗戦の憂き目を見た。 秋こそは、と東大野球部も我が東大応援部も夏の合宿は格別気合が入った。
案の定、江川は秋の東大戦に出てきた。東大応援席は「江川を倒せ‼︎」と盛り上がった。結果、東大は江川を打ち崩した。江川の東京六大学野球に於いての最初の敗戦は東大戦だった。そんなことがあった。
戦後の高度経済成長の時は東大卒の総理大臣が続いたが、それを破ったのがかの田中角栄だ。今太閤、ロッキードで退任してからは闇将軍として総理大臣を影でコントロールした。功罪半ばしたが、実に魅力的な総理大臣だった。
今度の菅総理はどうだろう。東大卒のエリート官僚たちを上手くコントロールできるだろうか。特に、法政とは東京六大学野球の思い出が鮮明であるため、菅総理には格別の思いがある。頑張ってほしい。
私は44歳でいろいろあって銀行を中途退職したが、早いものであれから24年が経った。一匹狼で生きてきたこともあり、人間に対する価値観は180度変わった。地位が高い、高くない、はその人の努力の証明のようなところもあり、それなりに評価し、TPOを弁えて考動しているが、私の人生遍歴は「地位が人間のレベルの本質ではない」と言うことを確信した24年間であったと思う。
組織で偉くなった人は同じ偉い人と付き合う。ビジネスでの交渉もそうだろう。人付き合いもそうだ。しかし、彼らは彼らの地位よりも高い人、ずっと高い人との付き合いはあまり得意ではない。地位がそうさせるのだろう。 その点、私は一匹狼だ。そんなことはお構いなしだ。それが私ならではの他との差別化だと思っている。
なまじ、組織で偉くなると、そのための束縛があるのだろう。組織人はそんなに気楽な稼業ではないのだ。なかなか殻から脱皮することは難しい。私は、そのような組織人には向いていない。天才バカボンではないが「これでいいのだ」。
人それぞれの生き方がある。どんな人生がその人に一番相応しいのか。なかなか分からない。それを見つけることは至難のことだ。私はそれを見つけるために一還り(還暦)してしまった。
これからは、人生二毛作。二毛作目は50歳からだから、私は二生の18歳というところだ。15歳で学に志ざし、今は30にして立つ(而立)まで頑張ることがとりあえずすることだ。 人生は長い。而立が一生の80歳なのだから、年老いているわけにはいかない。
小林 博重