石川赤門会のZoom講演会と懇親会

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今朝は久しぶりに真夜中に目覚めたが目が冴えて眠ることができない。こんな時は、いつも「ままよ」と思って起きて、徒歩2分の事務所に出掛けることにしている。
事務所に2時前に着いて、深夜のNHKラジオを聴く。
私にとってラジオは深夜聴くメディアになっている。昭和に流行った流行歌をはじめ、様々なジャンルの音楽を聴く。MCの会話やインタビューも気に入っている。パソコンで仕事をしながら聴くのもいい。 今の東京の日の出は5時半くらいだから、3時間半ほど秋の夜長を楽しむことができる。
何事もいいように考えるとストレスはなくなる。
昨日の石川赤門会のZoomでの講演会と懇親会は実に有意義だった。ほとんどの都道府県の東大同窓会が中止になっているが、幹事の皆さんがオフラインで集まり、「オンライン石川赤門会を開催しよう」ということになった(私も幹事だが、金沢での開催であったこともあり欠席せざるを得なかった)。 参加者は20名弱であったが、懇親会での自己紹介と意見交換はこのくらいの人数がちょうどいい。
講演は水野一郎会長の「金沢散歩」だった。金沢がなぜ魅力的な都市なのか、その理由が良く分かった。
金沢の中心には、金沢城址(金沢城址公園)と兼六園がある。東京で言えば宮城である。宮城は江戸時代は江戸城であり将軍の住まいだった。明治時代になって天皇陛下のお住まいになった。
一方、金沢城は加賀藩主であった前田家の住まいだ。江戸時代の火災で天守は焼失し、それ以降天守は再建されなかったこともあり、金沢城には天守閣がある城はない。戦後は金沢大学があったが、今は郊外の角間町に移転した。
また、金沢市の中心にあった石川県庁は駅西地区に移転して、その跡は椎木会館になっている。その傍に石川四高記念館がある。旧制第四高等学校のレンガ造りの趣きある校舎が往時のまま残っている。 ことほどさように、金沢の中心は歴史と文化の香りが満喫している。
なぜそうなのか。
金沢大学や石川県庁は全ての人が行く施設ではない。金沢の中心は県内外、外国人観光客に至るまで、全ての人たちが訪れる場所にしたいという、金沢の町家衆の想いがあったのだとか。
水野会長は建築家と明治以降の歴史的視点からそれを解き明かしてくださった。
明治以降、中央集権が進み、各都道府県は中央政府の方針に従って街造りをした。街の中心に県庁や大学などの公的機関を建設したのだが、それに異を唱えて金沢市は金沢独自な街を作ったのだとか。これには町家衆の力が大きかった。金沢の歴史に誇りを持った金沢の町家衆は、中央と一線を画した街造りを目指したのだ。今になってみれば、金沢は、同じような街造りをした他の都道府県庁所在地とは一味も二味も違う、個性ある「城下町金沢」である。
withコロナの時代になって、東京一極集中の是正が叫ばれている。これからは、地方独特の個性が溢れる「地方の時代」だ。その先頭に金沢市はある。
これは、私たち人間にとっても言えることだろう。
一人ひとりは世界に一人しかいない個性を持った「心のある人間」なのだ。全ての人は、その個性を輝かせ、世界にひとつしかない花を咲かせることが21世紀には求められているのだ。
小林 博重