真夜中に目覚め、床に伏せって何ということなく考える。
ふと、中学の国語の教科書に載っていた、若山牧水の短歌が脳裏に浮かんだ。
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
なぜかこの短歌を鮮明に覚えている。
夏の海岸が思い浮かぶ。夏の空と海の透き通った青に染まらない純白のカモメが、海辺で佇む私から遠ざかって飛んでいく。透き通った青にも混ざることなく、カモメは私から遠ざかっていく。
これは牧水の失恋を歌ったものだという解釈もあるそうな。恋人はカモメの白、牧水は空の青、海のあをだ。純白のカモメの恋人は、空や海の青である牧水に染まることなく、牧水から去っていく、ということだろうか。
中学生の私は、この短歌が恋の歌と思って、この歳まで鮮明に覚えているわけではない。
純白のカモメが、透き通った青にも染まることなく、我が道を突き進む、その孤高さ、健気さ、気高さ、純白さに、人間のあるべき生き方を投影したのだと思う。
青にも染まらないカモメは、混濁した世間には決して染まらない。こんな人生を送りたいものだと、純粋な中学生の私はそんな想いをこの歌から感じとったのだろうと思う。
中学生時代は多感な時代であり「世の中は混濁な世界」だと、そんな混濁の世間を垣間見て、世間を毛嫌いする時代ではないか(NHKで日曜日に放映されていた「中学生時代」はそのようなテーマが多く、私は毎週視聴していた)。
そんなことで、カモメの純粋な生き方を自分に投影したのだろう。
私は銀行の採用担当者のおり、学生たちに「泥にも染まらない『純白なハンカチ』になれ」と言っていた。牧水のカモメを思い浮かべていたのかもしれない。
そんなカモメは悲しいのか。
かなしからずや、いや、悲しくなんかない。そんな孤高さ、健気さ、気高さ、純粋さを守り続けて生きることで、その周りに同じ想いを持った人たちが集まってくるのだ。そして、その人たちが同じ志でベクトルを合わせて夢に向かって邁進するのだ。悲しいどころか、楽しく、嬉しく、幸せなのだと。そんな、人には”青臭い”と思われるかもしれないが、そんな生き方をしたいと思った。
それがこの歳まで変わっていない自分は幸せ者だと思う。一生青春、一生燃焼の人生だ。
小林 博重
カモメのジョナサン
大変だったが、、しかし、素晴らしかったといえる人生を送りたい
「青春」(サミュエル・ウルマン)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増すが、 熱情は、失えば心はしぼむ。 苦悶や・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。 君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・喜び・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。