「出会い」について思う。

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今里さんにお会いしたのは二十歳の頃だろうか。もう半世紀近くも前のことだ。私には好好爺の印象しかないが、実はとんでもない大物経済人だったのだ。私のような若造に偉ぶることなく自然体で接してくださったことを鮮明に思い出した。
その人間的魅力はどこからきているのだろうか。その広範な交友と人脈はどうして形成されたのだろうか。
それは有名大学を卒業したからとか、試験で偏差値が高かったとか、そんなものではない。
偉ぶらないこと、人を大切にすること、人を差別しないこと。その温かい人間性に因るところが大なのだろう。人好きであるから、気配りも自然にできる。人まめということだろうか。そのような人は人間的魅力に溢れていて、人はたくさんその人の周りに集まってくる。私もそんな人を目指したいと思う。
あと2年余りで古来稀なる古稀(古希)になる。気持ちは若いつもりだが、時々身体が思い通りにならないことがあって、否応なく「歳を取ったものだ。年齢には逆らえないな」としみじみ思うことが増えてきた。
「自分自身を知る」ことは事を成すに不可欠なことだが、こんなこともその一つだろう。健康あっての物種だ。これから事を成そうと思うのなら、まず一番に健康に人一倍留意することだ。
今までの68年間、数多くの人たちと出会ってきた。私にはこれからもう一仕事があるのだから、今まで以上に数多くの人たちと出会うことだろう。
森信三翁は「出逢い」について下記のような箴言を語っている。
「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に」
また、さだまさし作詞作曲の「奇跡〜大きな愛のように〜」という歌がある。出会いは「奇跡」であり、それは「愛」なのだという。
♬たった一度の人生にあなたと巡り会えたこと
偶然を装いながら奇跡はいつも近くにいる
ああ大きな愛になりたい
あなたを守ってあげたい♬
私たちは何気なく、日々、人と出会っているが、それは偶然を装おった奇跡の連続だ。その奇跡をどのように生かし、その人のために生きるか。それは人生哲学でもある。
勿論、そのレベルはピンからキリまであるだろうが、できることならピンの比率を少しでも高める努力を継続し続けることではないか。そして、その出会いの中から「格別の出会い」をできるだけ多く作っていきたい。
そんな巡り会いは奇跡かもしれないが。それには人を愛することだろう。
出会いには、
①ビジネスライクな出会い
②ビジネス抜きの出会い
がある。
私は、ビジネスに関しては、①の出会いを②にアウフヘーベンして「ビジネスをベースにしたビジネス抜きの出会い」を目指したいと思うのだ。
それは、私にとって、「ビジネスは生き方、生き様そのもの」だからだ。
私には、これからも数多くの出会いが私に訪れるだろう。
ビジネス抜きの出会いは、よし。ビジネスをベースとしたビジネス抜きの出会いは、なおよし。
できるなら、出会いは心の出会いであってほしいと思う。
小林 博重