人間としての矜恃

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昨日は久しぶりに西櫻亭伊勢丹新宿で美味しいディナーに舌鼓を打った。西櫻亭経営者の安藤裕美さんに予約してもらった。
野本知里さん(4月)、妻(5月)、水谷歩さん(6月)の合同誕生日祝いだった。緊急事態宣言で開催できなかったが、解除されたことで合同で開催した。 店長の加藤剛さんや料理長の宮下響さんも歓迎してくださって最高の「日本の西欧料理」を堪能した。
伊勢丹新宿もまだまだ以前の来客数とはいかないが、客単価は以前よりも高いそうだ。お客はストレス発散で買い物をしているのだろうか。 西櫻亭も夜の顧客はまだまだのようだが、昼は以前同様の賑わいになってきたとか。
徐々に客足は戻ってくるだろう。
午後は野本さんと企業訪問したが、誕生日会まで時間があったので、伊勢丹傍の星乃珈琲店で2時間近く時間を潰した。
雑談の中で野本さんから「団長、どうして東大に入ろうと思ったのですか。何か東大を目指す切っ掛けがあったのですか」と質問を受けた。
私には「大学は東大」しか頭になかった。中学校の修学旅行は、鎌倉〜東京〜日光だった。東京では貸切バスで、皇居・東京タワー・浅草など、島倉千代子の♬東京だよ、おっかさん♬よろしく、お上りさんのコースだった。宿泊は本郷の「ふたき旅館」(今でもこの旅館の名前は覚えている。懐かしくてこの旅館を探して、東大入学式に能登の父母や叔父叔母が上京した時はふたき旅館に宿泊してもらった)だった。この旅館に行く途中に本郷の東大赤門前を通った。バスガイドが「みんなのなかで東京大学に入ろうと思っている人はいますか」と言われた時、私だけが「僕は東大に入ります!」と言ったことを覚えている。東大一直線のようなことだったのか。どうしてそこまで「東大」だったのか? それは祖父の刷り込みだったのだろう。
祖父は旅順でロシアと戦った。金沢の第9師団7連隊だったか。上司は昭和の軍閥内閣首班だった林銑十郎閣下だった。旅順攻撃のトップは乃木希典将軍だ。祖父は、いつも戦場で颯爽と馬に乗っている乃木将軍を拝んだと言っていた。乃木将軍は当に軍神だったのだ。
祖父はロシアに取られた軍旗を取り返した功績で金鵄勲章を受賞した。そして軍曹に推挙されたのだとか。しかし祖父はそのありがたい申し出を断ったのだそうだ。どうしてか。祖父は文字が読めなかった。文盲だった。文盲は人の上には立てないと思ったとか。だから、私に勉強して東大に入って「世のため人のために尽くす」ことを説いたのだ。祖父と炬燵に入っていると、祖父はいつも日露戦争の話をした。そして、軍旗を取り返したこと、軍曹に推挙されたこと、軍曹を固辞したこと、そして私が東大に入ること、世のため人のために生きることを説いて話した。それが私の潜在意識に深く染み込んでいたのだろう。
野本さんにそんな話をした。
私は祖父母に育てられた。父母は別のところで仕事をしていた。私の育ての親は祖父母だったことを懐かしく思い出したのだった。
東大でもどこでもいい。大学に行かなくてもいい。自分は何をするためにこの世に生まれてきたのかを真剣に考えながら、そのミッションを果たそうと生きることだ。それは、きっと夢の途中で倒れることにはなるだろうが、しかし、その想いを継いでくれる志ある人は必ずいる。それを信じて倒れるまで闘い続けることだ。それが人間として生まれてきた矜恃ではないか。そんなことを思う。
小林 博重