コロナ時代の働き方を考える。
現代は「新自由主義」の時代だ。
「新自由主義」とは何か?
新自由主義とは、「小さな政府、市場の自由」を目指す考え方だ。「大きな政府」から、様々な産業の民営化を進め規制緩和を行うことで市場の活性化を目指している。
1980年代、それまでの国家の経済的介入により雇用や社会保障が守られるべきという「大きな政府」が市場を囲い込み過ぎたことにより経済的停滞が起こるに至り、「小さな政府、市場の自由」を求める声が高まってきた。そして、世界的、同時発生的に新自由主義をもととした政策が実行されるようになった。 日本では、中曽根内閣の三公社の民営化、小泉内閣の聖域なき構造改革だ。
新自由主義では、国営企業が民営化することにより自由競争が生まれる。規制がなくなることにより、参入企業が増え、経済が活性化する。 通信の自由化はそのいい例だ。稲盛和夫さんが風穴を開け、そこに孫正義さんも参入し、今では、NTTに対抗するKDDIやソフトバンクになっている。 私たち消費者は、携帯電話やスマホ等、通信会社を自由に選ぶことができ、通信費の価格競争が生まれ、私たちは身をもってそのメリットを感じている。
しかし、労働者派遣法規制緩和について「派遣社員の労働環境が『規制緩和や多様性』という言葉の陰でボロボロに破壊されてきている」という指摘があるように、市場の自由化はデメリットがあることも事実だ。 労働組合の組織率が低下している今日、労働者を守るという観点からすれば「新自由主義は労働者の敵だ」という一面もあるだろう。
新自由主義は、国民が福祉や雇用保障と引き換えに、自由と責任を享受する経済思想だ。
私は大企業の型にはまりたくないと思って、大企業によって守られた「生簀」を飛び出したが、それは、私の人生を人任せにしないで、私自身の「責任」で「自由」を享受したいと思ったからだ。 その意味では、新自由主義の荒海に自らの意思で飛び込んだのだ。
私は67歳ではあるが、五体満足で健康、私しかできないと思う「得手」も持っていると自負している。
私にとっては、この新自由主義は「時代の流れ」もっと言えば「宇宙の大流」であるとも思っている。それは、ますますコロナで加速化するだろう。
しかし世の中には、障害や病気、介護や子育て、教育の機会かわ与えられないなど、様々な事情を抱えた人がいる。また、正社員で終身雇用が日本の今までの雇用環境であり、それを希望する人たちも少なからず存在する。 「社畜」と言われても安定した生活がいい、心を売っても安定を求める人が多いのも事実だ。
夏目漱石の「草枕」には「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」とある。
稲盛和夫さんは「理に情を添える」と仰る。
私なりに考える。
新自由主義は、大きな宇宙の大流だろう。しかし、それをそのまま押し通せば、この人の世は住みにくい。
そこで、「理」「智」に「情」を添える。温かい「人情」を持って制度を考えることだ。
意地を通さず「人間力」で、人さまの調和を図ることではないのか。
小林 博重