粗探しの国会だ。誰が一番というのだったら、それは「トップの人間のレベル」がそうさせているのだろう。
与党も野党もどちらも似たようなものだ。平時には潜在して現れなかった「人間の本質」が、100年に一度の危急存亡の時には如実に顕在化する。
このようなお粗末な国会を見ていると、組織の一員として生きていくことは精神衛生上、不健全なストレスが溜まって長生きができないと思ってしまう。官民問わず、宮仕(サラリーマン)は気楽な稼業とは言いがたい。ただ身分保障があるというだけではないか(身分保障があると言っても、それは官か大企業の民だけだろうが。それもこれからどうなることやら)。
それに対して、小であろうとオーナー経営者は、このようなコロナ騒ぎに出食わすと、その厳しさを嘆くことになるが、逆に、コロナは人間を磨く磨き砂だと思って必死に生き延びる努力をすれば、一段も二段も上にアウフヘーベンして人間の器が大きくなるものだ。その点では宮仕でない幸せを感じることができる。何事も考え方次第だ。前向きに前向きに。
そして、一段も二段もアウフヘーベンして「世のため人のため」に生きる具体的生き方を考え実行することだ。それは人それぞれ。小さなことから大きなことまで。 こんな時は、小粒でもピリッと辛い山椒こそが、大したことをやることができるものだ。
もう少し考えよう。緊急事態宣言は解除されたが、もともとは5月末までだった。ちょっと焦って解除しただけだ。慌てないで、あと少しの5月の期間を充電の時間としよう。
小林 博重