女性解放運動の先駆者である平塚らいてうは雑誌『青鞜』創刊号に寄せた発刊の辞に「元始、女性は太陽であった」と題して、下記のように書いている。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の力によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。さてここに『青鞜』は初声を上げた。女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを」
平塚の時代から100年以上が経っている。21世紀はダイバーシティ時代と言われるように、老若男女や障害の有無、人種を問わず、与えられた能力(得手)をフルに活かし、協働することにより、それぞれが幸せな人生を送ることができる時代になったのだ。
私は賢い女性たちに援けられている。すなわち、彼女たちは、私が得手とするところをフルに発揮できる環境に置いてくれているのだ。私の得手を生かしてくれる女性は賢い女性なのだ。
平塚の時代は「女性は太陽」と声高に叫ぶことで女性を目覚めさせたが、今は、もっと賢く、男女それぞれ、対等な関係で、得手を持ち寄り、1+1=2以上のパフォーマンスを発揮することが、全ての人間の幸せにつながるのだと思う。
何で応援部に入ったのか?
東京の人たちは田舎っぺの私には付き合い難い。スマートで無駄がないというのだろうか、今で言う「コスパを追求する人」ばかりのような気がしたのだろう。 ちょうど、学生運動の名残りがあったのか、東大応援部の部員は全員でたったの4人。
朝日新聞地方版で「気骨ある東大生よ集まれ」と、まるで応援部発行の新聞であるかのような記事に刺激されたこともある(これは東大応援部OBの朝日新聞経済部記者が同僚である社会部記者に依頼して書いてもらった記事だった)。友人と神宮球場で東京六大学野球を応援席で観戦応援して、その場で入部することにした。
ちょっと理不尽なところもあったが、なにせ先輩たちは情があった。田舎っぺの私は、その情が魅力的だった。
負けても負けても応援する。応援しても野球は勝つわけではない。野球は選手がするもので応援部は声を出すだけ。応援する学生たちをリードするだけ。そんなことがどんな意味があるのか。 勝負というコスパは全く持って低いが、それが私にはとても魅力的だった。理不尽だが温かい。そんな大学生生活は私の人生のベースとなったのだ。
小林 博重