「敬天愛人」と「応援人生」①

投稿者:

ビジネスパートナーから質問された。
「団長、どうして、OUEN Japanを立ち上げようと考えたのですか?」
「どうして、大学生や留学生の応援団のOUEN Japanと地域活性化、地域創生が結びつくのですか?」
「そもそも、どうして、大学で応援部に入部しようと思ったのですか?」
21世紀は人生100年時代だ。齢67歳の私にとってそれは残り33年の人生だが、私はその33年を現役として生きていきたいと思う。私にとって人生100年時代は現役人生100年だ。 33年を全力疾走しようと思う時、そのエネルギーは私の「生きてきた原点」を思い起こし、それをエネルギーとして私の体内に深く注入することなのではないか。
そもそも小林博重とは何か。
私は、能登半島の中ほどの中能登と呼ばれる田舎に生まれ、中学生まで祖父母に育てられた(高校は金沢で下宿生活、大学から東京に出て石川県を離れた)。やはり、育てられた祖父母の影響が大きい。
祖父は日露戦争で乃木将軍率いる軍隊に所属し、旅順の二〇三高地を攻めた。ものこごろつく頃からよく祖父に旅順攻撃の話を聞いた。
祖父は乃木将軍を神とも崇めていた。乃木将軍は頻繁に乗馬して戦場に出かけて兵士を鼓舞したと。リーダーとは人の先頭に立って部下を奮い立たせる人だ。
また、祖父は露軍に取られた軍旗を取り返した功で金鵄勲章を授与されたが、学校に行かなかったため文字が読めない。それで軍曹へ昇格する推薦を受けたが、文字が読めなくては人の上に立つことは叶わないと思い固辞したのだとか。
そんなことで、祖父は「国のために尽くすリーダーになれ」「そのためには学問を積むことだ」と、ことあるごとに私に説いた。その思いは今でも私の体内に染みついている。
そんな昔気質の祖父だが、祖母には頭が上がらなかった。祖母を「おかっつあま」と呼んでいた。「お母さま」ということか。明治の人では滅多にいないだろう。 祖母はしっかり者で祖父母夫婦は「かかあ天下」で、両親の関係とは真逆だった。この点では、私は祖父母の影響が大きいのだろう。
私には「女性は神さま」という感覚が強い。おかげさまで、妻をはじめ、私の周りには心身に秀でた女性たちが多い。祖父母に深く感謝するものだ。
小林 博重