私の一日は早暁から始まる。
それは歳を取ったせいだろうか。お客様との接待はめっきり減った。一匹狼で同僚もいないので、仕事が終わってちょっと一杯ということもない。 時には気が合う仲間たちとの懇親で軽く一杯があるが二次会はほとんどない。
事務所と自宅が徒歩2分という、サラリーマンには考えられない職住接近も一因だろう。
特に最近は新型コロナウイルスのせいもあるのだろう。8時前には床に就くことが多い。妻は、いつも「孝ちゃんより早い」と笑いながら言う(孝ちゃんとは、孝樹という、大阪にいる私の6歳の孫のことだ)。 夜は何度かトイレに起きる。「頻尿」だ。やはり歳だ。
こうして、その他にも自分の身体の衰えを自覚することが増えてくるから、死というものをスムーズに受け入れるようになるのだろう。
「ピンピンコロリ」は理想というが、体力が20歳代だったら、ピンピンコロリはとんでもないことだ。身体が年相応に弱ってきていることを自覚するから死を受け入れられる。その意味で、ピンピンコロリの「ピンピン」は20歳代の健康体ではなく、健康に歳を重ねた、誤魔化しながらの健康体だ。
午前3時過ぎだとちょうど「寝た感」がある。布団の中で、このようにブログを書いて、書き終わると起きて事務所に出かける。8時までの4時間が誰にも邪魔されない珠玉のひと時だ。
コロナで中小企業は死活問題の先が増えているという。パートや派遣社員も雇い止めがチラホラ。OUEN塾の学生リーダーから就職の相談を受ける。就活生も来年4月の採用数は計画を下回る会社が増えているとかで、これは気が気ではないだろう。 パンデミックとはこういうことだ。この危機をどう乗り越えるか、今、人間の器量が試されている。
宮仕と事業家のことを考える。
私は44歳まで大手銀行に勤務していた。故あって銀行を退職し、一つならず、企業を転職し、生命保険エージェントを経て個人会社を設立した。その流れでOUEN JapanというNPOも設立し、今はNPOが私の人生最後の事業になった。
宮仕と事業家(そんなカッコいいものではないが)を経験してみて、その違いは「覚悟」ということではないかと思う。
この「覚悟」の意味は「人生に対する覚悟」なのだろうが、そんなに大仰なものではない。私がそこまで達観しているわけではないからだ。しかし、その「覚悟」とは「腹を括ること」の意味くらいの覚悟だ。
私が、脂の乗っていた44歳で銀行を退職したことを考えると、それは私にとって、一大決心だったのだろう。まだ半分の人生がある。子どもたちは中高生の時だ。お金もかかる。家族も銀行を辞めることに大反対だ。しかし、私のたった一回の人生だ。覚悟を決めて飛び出した。相当の覚悟だったのだろう。
森友問題で「もう調査はしない」と、一国の総理大臣や財務大臣が公言している。
財務省のエリート官僚がそれに反旗を翻して真実を述べることなど、それまで営々と積み上げてきた財産を投げ捨てることにもなるだろう。 果たして、そんな覚悟が東大卒のエリート官僚諸氏にはあるか。それは44歳の私が同じ立場ならできないのではないかと思う。銀行を辞めることとは段違いにハードルは高い。
私は銀行を辞めて23年間、一匹狼として自由奔放に生きてきたが、その生き方は波乱万丈なものがあったが決して後悔はしていない。それは今になって思うことで、23年間には、弱気で「後悔」の2文字が脳裏にちらついたことは一度ならずあった。
人間は枠に縛られているほうが楽だ。せっかく、その枠に入ることができたのに、そこを飛び出すなんてそんな勿体ないことができるわけはないと思う(私にはよく分かる)。 しかし、私は今飛び出して良かったと思う。人には積極的に進めることはしないが。
飛び出して戻れなくなった人、最初から枠に入ることができなかった人、枠に入ろうと思ったことがない人、このような人たちと一緒に仕事がしたいと思う。 私の、あと長くて53年の人生。苦を楽しむ人生を送りたいものだ。
小林 博重