Mapは、私一代で命を終える個人会社だが、もう一つのOUEN Japan は、今は私の個人的存在から離れて「志」をバトンタッチしていくNPOになりつつある。
本日の産経新聞の特集欄に「トップの引き際、どう判断」と題して、関電や郵政の不祥事に伴うトップの引き際について、経済小説の作家である黒木亮さんと江上剛さんのインタビュー記事があり、私自身のこととも重なり、興味深く読んだ。
黒木さんは、
「近年の日本の経営者には社会と消費者に奉仕するという志がないように見える。私が『鉄のあけぼの』で取り上げた川崎製鉄の元社長、西山弥太郎氏は、いい製品をつくって産業に役立てたいという強い思いを持っていた。松下幸之助氏や稲盛和夫氏にも同じような志を感じるが、現在の経営者たちは組織の中でうまく泳いで、志のないままトップに立った人たちが目立つ」
江上さんは、
「日本の大企業のほとんどがサラリーマン経営者。不祥事が起きても辞めないのは「自分は運が悪かった」ぐらいにしか思っていないからだろう」
「引き際の美しいトップとして知られる人に「住友財閥中興の祖」と呼ばれた伊庭貞剛がいる。住友総理事を58歳で後継者に譲った伊庭は「世の中を悪くするのは、青年の失敗ではない。老人の跋扈だ」というようなことを言っている。要するに、老人がいつまでも経営に携わっていてはダメということだ。伊庭に倣い、トップになったらいつ辞めるかを考え、自分を超える後継者を選び育てるべきだと思う」
「経営者の引き際の悪さは、日本にイノベーションが起きない理由にもなっている。偉い老人が跋扈している社会では若い人が活躍できない。アメリカではGAFAのように新しいビジネスが次々起きているが、日本ではいつまで経ってもトヨタだ。
昔に比べて人間が小さくなっているのもある。昔の経営者は第1に従業員、第2に取引先、第3に地域社会のことを考えたが、あるときから株主が第1になり、トップも株価を上げることばかり考えている。これじゃあダメだ。 アメリカで最近、優先すべきは従業員や取引先、地域社会であり、株主は最後でいいという考えが出てきた。もともと日本がやっていたことだ」
①「社会のために貢献する」という「志」ある経営者になる。
②「辞め時」を考え、「自分を超える後継者」を育てる。
OUEN Japan 団長として、この2つを肝に銘じて事に当たりたいと思う。
小林 博重