特急「能登かがり火」で七尾駅に到着し恵寿総合病院に向かう途中、『山藤家』という老舗大衆食堂がある。のと共栄信用金庫本店の前を通って恵寿病院に行く、ちょうどその中間くらいだ。いつもはその前を何気なく通るのだが、昨日はどういう心境だったのか祖父のことがふと脳裏をかすめた。
七尾では毎年5月に青柏祭が開催される。知る人ぞ知る、能登最大の有名な祭りだ。私たちはこの青柏祭を『七尾の山』と呼んでいた。今もそうだろう。七尾の道路はそんなに広くはないが、何台かの山車(だし)が狭い道路に繰り出す。
祖父は、毎年、この青柏祭に私を連れて行ってくれた。私が小学生の頃だったろうか。
七尾に行くといつも祖父が必ず行くのは、おばあさんがお店をしている小さい果物屋さんと、お昼は山藤家だった。
果物屋では、当時は高価だったバナナ。それも台湾バナナを鱈腹食べさせてもらった。
山藤家は、祖父が「七尾で一番美味しいうどん屋」と言って、うどんを食べさせてくれた。いつも天ぷらうどんだったろうか。ちょっと贅沢なうどんだった。青柏祭は、私にとって年に一回の「贅沢な日」だったのだ。そのことを今でも忘れない。そして、その時の祖父との温かい交流とその笑顔を決して忘れない。
恵寿病院訪問を終えて、50年以上前に食べたうどんを食べてみたくなった。福岡のうどんに似ている。柔らかい。そして美味しい。しかし、七尾の山藤家で食べるうどんは格別だ。祖父を思い出し、胸が熱くなった。
私は祖父母にこよなく大切に育てられたと思う。いつも3人で一緒に寝た。愛されていたと思う。
祖父は私に「東大に行って日本のために尽くす人間になるのだ」といつも言っていた。それで必死に東大に入ったのだと思う。あとは「日本のために尽くす人間になる。世のため人のために尽くす人間になる」ことだ。
私は私の祖父母のように孫たちと生活を共にすることはない。接することも、私は仕事人生で、なかなかそんな機会はない。しかし、そうありたいとも思わない。 私は、私のこれからの生き様で孫たちの心に残る祖父でありたいと思うだけだ。
正々堂々、人生をかっこよく生きて去って行ったと思ってくれる、そんな人生を送りたいと思う。
小林 博重