人間がこの世に生を享ける意味は果たして何だろうか。果たして「生きる」とはどういうことか。
稲盛和夫さんは「天から授けられた魂を磨くために生きる」のだと仰る。また、徳川家康は「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」だと言っている。
曰く、人生は“修行”なのだろう。
では、なぜ人は「辛い修行を、生涯に互り、し続ける」ことを課せられているのだろうか。
人生が苦行の連続ならば、当然、その苦行からおさらばしようと死を選ぶ人間も出てくるだろう。日本でも年間3万人前後の人が自死している現実がある。
しかし、圧倒的多数の先哲は「生きよ!生き抜け!」と言っている。自死してはいけない。せっかく奇跡のような確率でこの世に生を享けたのではないか。なぜ自らの手で死を選ぶのか。生きるには意味がある。それは何だろう?
私は思う。
人は、幸せになるために、この世に生を享けたのだろう。
人は、幸せになるために、魂を磨くのだろう。
人は、幸せになるために、重荷を負うて遠き道をゆくのだろう。
人間には春夏秋冬がある。
青春、朱夏、白秋、玄冬。さしずめ、私は今、白秋の時代を生きている。
炎える青春時代は、金沢大学附属高校での自由奔放な友人達との交流であり、大学受験をゲームのように楽しんだ。そして、東京大学応援部での温かい人間たちとの触れ合いは、私の人生の基礎を作ってくれた。それは人間修養の入口でもあったのだ。
朱夏は、安田信託銀行での銀行員生活だろう。銀行員らしからぬ型破りの銀行員生活を送ったと思う。安田信託は、そのような私に寛容に対応してくれた。人間味ある会社だった。そして、稲盛和夫さんに出会ったのが遠因になったのだろう。44歳で銀行を退職し、無謀にも、冬の日本海に飛び込んだのだ。そして、それから20有余年、七転八倒の人生が始まる。この時が白秋の入口だったのだろうか。
私は、未だ、冬の日本海に漂っている一匹のコズクラ(富山では、ブリをツバイソ→コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリと呼ぶ)だが、私の青春と朱夏は、美しく純粋だ。これからの白秋と玄冬の時代で、その集大成を成し遂げたい。出世魚よろしくブリにまで駆け上がっていきたい。そして、濁世の中でも染まることのない純白の絹のハンカチでありたい。その想いを以って、OUEN Japanを磨き上げていきたいと思う。
☆OUEN Japanとは何か?
OUEN Japanは、人間の応援団でありたい。
具体的には、「日本人大学生・来日留学生、および彼らを応援していただいている企業・地域の応援団」である。
☆OUEN Japanは何をしたいのか? OUEN Japanの目的とは? OUEN Japanの基本理念とは?
それは一つしかない。世のため人のために尽くす『人財』を世に送り出すことだ。その想いを持った『人財』を世に送り出すことだ。では、その『人財』とは?
自分の人生を極める人→「世のため人のためは自分のため」と考えることができる人。
恕の心を持った人→人がしてほしくないことはしない、人がしてほしいと思うことをする人。
すなわち、自分の人生哲学確立のために生きる人だ。
☆その目的のために、OUEN Japanはどんな組織であったらいいのか。どんな組織を目指すのか?
縦の規律の中に、横の心(応援の心=恕の心)を持った個人の集団
緩やかでありながらも、強固に結びついている、組織の個人同士が対等な集団
明るく大らかで牧歌的で自由闊達である個人の集団
☆企業の応援団としてのOUEN Japan
応援とは、双方向のコミュニケーションだ。応援していただく人たちを応援することだ。
応援していただくことに感謝することに加えて、企業や地域の困りごと解決の一助となる応援をすることだ。
小林 博重