昨夜、東京ガーデンパレス1階にある「つきじ植村」で、大学教養学部の中国語クラスメートの同期会を開催した。毎年御用納めの前後にしている。私が永年幹事であるため、私の独断と偏見で、OUEN望年会や理事会等、様々な会合でお世話になっている東京ガーデンパレスを会場にしている(東京ガーデンパレスは私学共済が運営しているホテルだ)。
クラスメート40名のうち出席したのは11名。10名だったが、参加表明なしに坪内和人さんが飛び入り参加だった(坪内さんは元NTTドコモ副社長、OUEN Japan理事もお願いしている。OUEN望年会にもご出席いただいているのでご本人はてっきり申し込みをしてあると勘違いされたのだろう)。
坪内さん音頭で乾杯のあと、しばらく歓談して、近況について各人から報告をした。皆さん、勤め人は第2〜3の職場であり、気楽といえば気楽な日々を送っている模様。その中でも、現在、北陸大学教授をしている金澤泉さんが「読んだら目からウロコ」の本の内容が印象的だった。その本は、ハワード・S・フリードマン、レスリー・R・マーティン他著の『長寿と性格』だ。
1921年から、どんな性格の人が長寿なのか「長生きする生き方」を検証した。
*真面目な人ほど長生きする
*社交的な人気者は早死にする
*老後の「のんびり」は間違い
*愛される必要はない
*生涯独身の男性は長生きする
等
私は話を聞いて「じゃぁ、私は長生きするな」と思った。
私の性格を自己分析するに「根は真面目」。本質的に曲がったことは受け入れない。人からの信頼は厚いと思う。ルールを守らない人は許せない(昔はそんな人に対して喧嘩を売るようなことをしたことは一度や二度ではないが、今は少し大人になったのか、そんな人とはトラブルを起こさず遠ざかるようになった)。 私はConcientious(良心的、誠実な)人間だと思う。仕事(ボランティア含め)人間であり、生涯現役、仕事の最中に倒れる最期でありたいと思っている。 これは長生きする要素のようだ。
一方、私は社交的で人気者だと思っており、人間大好き人間だ。人を愛したいし、人に愛されたいと思っている。そして、れっきとした妻がおり、独身ではない。 これは短命の要素だ。
しかし、短命の要素の中身を見てみると、社交的で人気者はそのように見せかけていて、それがストレスになっているのだと。そんな人は生活が不摂生で、医者から言われたことも守らない人が多いのだとか。 また、愛されたいことよりも、人のために尽くすこと、社会とのつながりを持ち続けること、知人友人が多く、定期的に会う相手がたくさんいる人が長生きしているらしい。
結婚している男性は、妻が支えてくれて仕事に精を出せるので、その支えてくれていた妻に先立たれると、それで生きがいがなくなってしまう人が多いのだとか。また、定年になって精力的な仕事から離れると、男性はその環境のギャップが短命になる要素になるらしい。のんびりと趣味でもというとでは、「生きる張り」を持つことはできないのではないか。
こう考えると、私は100%長生きできるということになる。
今朝、Amazonで中古本を買い求めた。100歳現役、その後20年は余生という現実に向かって生きていこうと思う。
小林 博重