地域活性化について考える。今、日本は少子高齢化社会に突入しているが、それは地方が著しい。少子化で若者の数は少ないが、それに輪をかけて若者は地方から都会に出ていく。半世紀前の私もそれに違わず東京を目指してふるさと石川を後にした。そんな私が地方創生をいうのは説得力がないのかもしれない。今の地方の若者もやはり東京を目指すのだろうか。北陸大学の金澤教授と話していて、現実問題として、若者の地方離れはどうしたものかと痛感した夜だった。
地方の私立大学はそのステイタスを高めるため、学生をその大学に呼び込むために、就職先はどうしても首都圏の上場企業にならざるを得ないのだと。優秀な留学生が日本で就職するためには、一地方の私立大学を出たことくらいではダメだと。一橋大や早稲田、慶應、明治等の大学院に進学して一流と言われる上場企業を目指すのだとか。そうでないと、優秀な学生は一地方大学には受験してくれないらしい。 私がいう、地域活性化で学んでいる地方に就職するよりも、東京本社の大企業に就職させることが学生のためであり、大学が生き延びていく方向性なのだとか。 そのような考え方も一理あるが、果たしてそれでいいのだろうか。私とは考え方が真逆で、どうしても腹に落ちない考え方だ。生きていくためには仕方のないことなのか。
私は東大卒の中の異端児だ。20年以上前、稲盛和夫さんが塾長だった「盛和塾」に入塾したが、そこには東大卒の塾生は皆無だった。私立大学や高校卒で、叩き上げの中小企業の経営者の集まりが盛和塾だった。私はそのなかに全く違和感なく飛び込むことができた。日本の将来を支えるのは健全な中小企業の育成であり、志高い経営者の育成だと痛感した。
しかし、東大卒は中央官庁、大企業を目指す。彼らはその中で出世の階段(決してエスカレーターではないが)を駆け上がってトップを目指す。しかしトップはその中の一部でしかない。そのトップも、歳を取ればその地位を去らざるを得ない。彼らは何のために生きているのか。「世のため人のため」と思って生きている人はどれだけいるか。そんな人たちが日本の政官財界のトップでいいのか。
そんな思いが心の片隅にあって、私はその出世階段から飛び降りたのだろう。決して飛び降り自殺ではない。生まれてきた私のミッションを果たすために飛び降りたのだ。そうだから、どうしても一般的な東大卒の皆んなとは究極的に相入れない。そう思う。決して良い悪いではない。
私の後半生は、私が道を開くのだ。
「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」
下村湖人の箴言だ。やっと見つけた私の「この道」だ。この道より私を生かす道はない。この道を一心不乱に歩いていこうと思う。
小林 博重