昨夜の金鍋での会食で、寺本社長から「小林さんは菩薩のような人ですね」と勿体ないお言葉をいただいた。私は妻から、「自己中でもっと人のことを考えて行動しなさい」とよく指摘される。そんな私が菩薩とは?
OUEN Japanでボランティア活動を続けていることから、そのようなご評価をいただいたのだが、これからの行動で「菩薩の足元」にたどり着くように修行しなければならない。
そこで、インターネットで菩薩を調べてみた。以下が、その中のベストアンサーだ。
小林 博重
御教歌
たのしみや 今の心が 菩薩ならば 未来は仏 うたがひもなし
楽しみなことである!
今の心が菩薩となれば、未来仏になることは疑いないことである。
このように仰せいただいた御教歌です。
菩薩とは
・人を大事にしていく
・人の立場で物事を捉えていく
・人を思いやる
・人を助けていく
・人が良くなることを純粋に喜ぶ
このような人を菩薩というのです。
かといって、最初からこのような心を持ち続ける人はいませんから、我々のことを凡夫と云うのですが・・・
そもそも凡夫というものは、自分のことが中心で、人のことよりまず自分が先で、よもやすると自分のことしか考えてないとか、自分を良くしていくためだったら手段も選ばずやっていく・・・という生き方をしたりするものです。
その自分中心の凡夫が、人を大事にしていけるように少しずつでも変わってきたら、その人は菩薩と化してきているのです。
完璧な菩薩には中々なれるものではありませんが、少しずつでも人を思いやり、人の立場で物事を捉えたり、人を大事に出来るようになってくる姿があらわてくるところに、菩薩の姿があり、その人の周囲には自然と菩薩の人が集まってくるようになるものです。
ところで、人にはその人から滲み出てくるところの匂いがあるもので、芳しい香りが漂う人もいれば、ウサン臭い人もいるのです。
菩薩の人となっていきますと、その人からは芳しい香りが漂ってきて、周囲に温かいもの・安堵感を与えたりするものです。
その芳しい香りを功徳と云うのですが、その功徳を我が身につけていくために、自分の心に徳を積んでいくために、人を大事にしていけるよう自分自身を変えていかないといけないのです。
それも、頭で理解しているだけではなく、実際に所作振る舞いとして日常生活にあらわれてこないといけません。
家庭生活において、社会生活において人を思いやり、人を大事にしていける姿があらわれていきますと、その積み重ねによってその人の心に功徳が積まれ、そこから自然と醸し出される香りが芳しい匂いとなるのです。
そこに、未来も仏になること疑いなし!
といえる因があるのですから、それを楽しみに今は菩薩になる修行をしていくことが、まことに大事・大切なことです。
そのことを仰せいただいた御教歌です。