『安藤明』を考える。

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今週は殆どの企業がお盆休みのようだ。来週は1週間、福岡・北九州出張だが、そのアポイントを取ろうと会社に電話をしても8割は通じない。私は年中無休だが、受動的にお盆休みを取ることになる。
3か月前くらいにAmazonから買い求めて机上に積んであった『昭和の快男児 日本を救った男 安藤明』を読み始めた。
帯には、〜半世紀余の時を超えて、歴史の封印が解かれた終戦秘史!徒手空拳で「天皇・マッカーサー会見」を実現させ、日本を救った男がいた。〜とある。2003年の発行だ。
この『安藤明』という人物を知ったのは、たまたま銀座のイタリアンレストランで、ある人に紹介された、安藤裕美さんとの巡り会いがきっかけだ。安藤さんは日欧フーズと日欧商事の副社長、33歳の若い経営者だ。彼女のお祖父様が安藤明さんだ。
彼女と親しくなって、お祖父様は歴史上の人物であることを知った。すなわち『安藤明』だ(安藤裕美さんには『安藤明』の熱い血が脈々と流れている。私は、彼女が「正道を歩む経営者」として大きく成長することを応援団長として心から応援していきたいと思う)。
敗戦という未曾有の事態に直面し、それまでの価値観は雪崩を打つように崩れ去った。安藤明は、それに抗うように、「日本人が日本人として存在し続けるには『天皇制護持』こそが危急の課題である」と信じ、徒手空拳で『国家存亡の秋』と格闘した男だった。 財産は勿論、名誉まで擲って信念を貫き、他国に運命を委ねた日本を救う役割を担ったのだ。
果たして、戦後74年を経た令和の時代に、「私心を捨て去り己の信念の下に身を投げ出す『安藤明』」は出てくるのか。
安藤明と親交があった国民的作家の吉川英治は、安藤明に言った。
「永い歴史の流れからみれば、国が戦いに破れたのは、一つの小さな現象でしかない。国家、民族の生命は悠久なものだ。
この際、われわれ日本人は、冷静な歴史的判断にたって、悠久から悠久への道を誤りなく歩み続けなければいけない。その一例に、毛利藩のこんな話がある。
関ヶ原の戦いで、毛利が一敗地にまみれ、中国地方の大半を占めていた領地を三十万石に削られた時のことだ。当然毛利藩士は禄高を十分の一に減らされてしまった。三百石取りのものが三十石になったわけだ。しかし、だれ一人感情的になったり、腹を切ったりしたものはなかった。いつかはきっと、毛利藩を昔の大藩にかえしてみせる、と互いに心に誓いあったのだ。 彼らは正月の挨拶などの時、目と目を見交わし、その誓いを新たにした。それがやがて明治維新における長州藩の活躍となり、倒幕の大業が完成されたのだ。
徳川幕府の厳しいスパイ網のなかを、三百年間も発見されずにきた目と目の誓いを、日本もこれから続けていかなければならない。しかしそれは、あくまでも敵を憎むという気持ちではなく、日本国家の再興という悲願に立ったものであるべきだ」
この吉川の言葉に感動して、安藤は身を捨てて日本を救おうと自らに誓ったのだ。
昨今の日韓関係は、当に「銃を持たない戦争」ではないか。両国の為政者には、吉川と安藤の『高い志』を煎じて飲んでほしいものだ。
小林 博重
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