[修身斉家治国平天下]
天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
ふと、高校時代の「古文」で習ったのだろう。上記の漢文が脳裏に浮かんだ。
何事にも順序があるのだ。まず一番に自らを修めることだ。人間修養ができないで、家庭を整えることなどできない。国家を治め、天下を平らかにしようと思うことは、それができてからにせよ、ということか。
人間には完璧ということはあり得ないから、第1段階の終身が完璧でなくても、第2〜4段階に関われないということではない。物事には順序というものがあるから、まずは自らを修めよ、ということだろう。
私は、今時の「イクメン」とは程遠い、仕事人間といったら聞こえはいいが、「幸せ4要素」の"あなたらしく”一筋で、好き勝手な人生を送ってきた。子育ては妻任せ。21年間勤めた銀行は勝手に辞めるし、自分探しといって転職人生を繰り返し、今はボランティアのために仕事をしている。おかげさまで健康は、痛風とか軽い高血圧とか五十肩とか、年相応に病気と付き合っているが、若い時にも負けない仕事をしていると思う。からきしお金には縁がないが。
3人の息子たちは皆、元気に育ち、性格も素直。社会人としても卒なく頑張っているようだ。私のような外れ者ではない。3人とも夫婦は円満。孫にも恵まれ、男子1人、女子3人。これが斉家ということなのだろう。「修身」の劣等生が「斉家」とは、これは妻のおかげというしかない。私が好き放題できているのも、それは妻ありせば、であり、私のことをよくご存知の先輩諸氏や同輩は、妻の偉大さを私に話す。
そうだと思う。妻以外が妻であったら、私はとっくに離縁されていただろう。私がOUEN Japanのボランティアに打ち込むことができるのも、妻ありせばなのだと思う。子どもたちとのラインのやり取りでそのことを痛感する。
ようやく義母の介護生活は10年以上になり、そろそろ潮時と、義母は特養施設に入居した。義母は妻の苦労が分かっていたらしく、心から納得したのだ。
私は月の半分は福岡県と石川県にボランティアで出かけている。それに合わせて、九州や北陸の観光地巡りでもしたらいい。JRの「大人の休日倶楽部」にも入ったことだし。そんなのんびりした60代を送ったらいい。私の60代はボランティアだが、これは私の好き放題だから、普通の人の息抜きなのだ。人には多様な価値観があるのだ。
残りの60代、70〜80代、もっと先まで、自分の価値観を大切にして、価値観にこだわって、楽しい人生を送ってほしいと思う。
小林 博重
iPhoneから送信