最近の世界の政治状況は、トランプ大統領が誕生してからというもの、「○○ファースト」がどこもかしこも闊歩している様相だ。勿論、どんな生物でも自らの命を守って生き延びる「本能」があるのだから、「○○ファースト」は当然のことであり、それを否定することは天に唾することでもある。しかし、人は人であるがゆえに人になる。人はひとりでは生きていけないがゆえに、思いやりの心を持って、お互いが助け合って生きることが、自らが一番幸せになる方法だろう。それは論語でいう『恕(じょ)の心=思いやり』だ。
私の哲学は、「利己を極めて、利他に至る」だが、そのベースには、人を思いやる『恕の心』があるのだ。それを極めることは、並大抵ではないが。
「論語」から、
子貢は孔子に聞いた。
「先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか」
孔子は、「それは、恕かな」と答える。
孔子は、「自分がされたくないことは人にしてはならない、それが恕だと。つまり、思いやりだ。
他を受け入れ、認め、許し、その気持ちを思いやる。
自分のことと同じように人のことを考える。
そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのだ。
『小さな人生論』から、
孔子先生は、人生で一番大切なことは、「恕」ではないかな、と言った。
いろいろ大切なものがある中で選んだ末の言葉だ。
思いやりがある人は、他人の立場に立つことができる人。
他人の立場に立つことができる人は、自己肯定ができる人だ。
「私ってすごい」とか、「俺っていけてる」と、いくら自分だけで思っても自己肯定にはならない。
自己肯定とは・・・
誰かの役に立っていると思えること。
自分は誰かに愛されていると思えること。
自分を大事に思ってくれる人がいること。
自分を必要としてくれるところがあること。
自己肯定は、他者からの肯定でもあるのだ。
自己肯定ができなければ、人を受け入れることも、認めることも、許すこともできないし、人を思いやる余裕も持てない。
人の役に立つこと、人の喜びのために懸命に働くことを続ければ、それが自己肯定への早道。
人生で一番大切な、「思いやりの心」を育てたい。
私はまだまだ至らない。
『恕の心』を極めるため、日々の一歩一歩を大切にしたい。精進を重ねたいと思う。
小林 博重
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