今日の東京は梅雨のど真ん中、気温は23度で肌寒い一日だ。今日の予定は何もないので、事務所で読書と書類の整理で一日を過ごす。 年中無休、24時間営業がモットーの私だが、月に2、3日はこのような一日があるほうが日々のコストパフォーマンスは高い。
特に60代半ばを過ぎてから少しずつではあるが体調の衰えを実感してきたことでもあり、100歳現役を全うするためには、自らを客観的に見つめる素直さが不可欠だと確信するようになった。
それはそうだろう。若い時の体調が老年まで続けば、死を意識することはない。それでは、有限な生命を悔いなく生きようなどと考えることもない。それでバタンキューとなれば“後悔先に立たず”ということになる。少しずつ身体が弱ってくることで、来し方の人生を振り返り、これからの人生を悔いなく生きる術を考えようというものだ。そして人間は少しずつ成長して、そのピークの時に棺を覆うことになるのが最高の人生であろう。
人は何のために生きるのかと考える。
それは究極的には「幸せになるために生きる」のだろうと思う。幸福感が満たされた人生は楽しく素晴らしい。「世のため人のために生きる」ことは、自分の心が幸福感で満たされるからであり、それは自分が「幸せになるため」なのだ。そんな幸福感は自利から自利利他に昇華された幸福感だ。それは自利のそれよりもの数段上の幸福感であり、永続するものだろう。
神戸大学の西村和雄教授と同志社大学の八木匡教授は「幸福感と自己決定〜日本における実証研究」というレポートを発表している。 この調査で、幸福感に与える影響力を比較したところ、健康や人間関係に次ぐ要因として、所得や学歴よりも「自己決定」が強い影響力を与えることが分かったそうだ。
私たちは日常生活において自己責任で意思決定をしなければならない場面に遭遇するが、その時に自分の裁量で自由に決める「自己決定」ができる人ほど幸福感が強いのだそうな。
私はこのことは実感として納得できる。
私事だが、OUEN&Mapとサラリーマン時代では意思決定に雲泥の差があるし、今は別の意味でのストレスはあるが、心の健康という点でのストレスは殆どなくなった。
今、仕事で私が関わっている人たちは殆どがサラリーマンだ。彼らは常に組織員として組織のルールの中で行動することが約束されており、自分勝手な振る舞いはご法度だろう。特にお堅い官庁や大企業は厳しい。今の私からすれば可哀想に思うことはしばしばだ。
ロンドン大学の疫学研究によれば、裁量権のあるトップは裁量権のない一般社員と比べて死亡率が4分の1であり、これは喫煙率や高血圧などの寿命に影響のあるリスク因子を全て加味しても変わらなかったとか。
幸福度でも健康を維持する上でも「自己決定」が如何に大きな要素をなっているのか、改めて認識し直した一日だった。
小林 博重
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