田中真澄先生のこと

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社会教育家である田中真澄先生から、彼の最新の著書をご恵贈いただいた。いつもながらありがたいことだ。
今回は『田中真澄の61話』、「はじめに」を読む。
私は83歳で未だに講演・執筆の仕事に従事していますが、こうしたことは今では珍しくなく、80代の高齢者が現役で頑張っている事例が私たちの周りにも数多くみられるようになりました。(中略)
40年前、私は43歳の時に日経を辞め、独立事業主として第二の人生をスタートしましたが、当時、80代で現役として活躍している人はごく稀な存在でした。ですから独立当初の私は70代まで現役で頑張れば十分であろうと考えていました。(中略) ですから83歳になった私が今も現役で仕事をしていることが、不思議に思えるほどに、今、時代は大きく変わってきているのです。 ところで、私は独立するに際し、どの組織にも所属しない独立独歩の人生を歩もうと決意し、その通りにやってきました。(中略)
では、なぜ独立独歩の人生にこだわったかといえば、私は日経時代から「これからのサラリーマンは組織に依存する生き方だけではなく、少なくとも定年後は生活保障のない個人事業主として人生を歩むべきだ」と考え、そのために自らがどこにも所属せず、己の存在価値に賭けて生きていかねばならないと決意したからです。さらに事業主には定年がないことから、死ぬまで働く覚悟が必要であるとも考えてきました。(中略)
サラリーマンを辞めて独立する際、まだ家内に独立したいと打ち明けられないでいた時、私は一人で悶々と悩み続けていました。43歳で家内と2人の子どもと家内の母を抱えていながら、何も恵まれているサラリーマンの生活を捨てて、生活の保障のない人生に踏み切ることはないだろう、なぜこの時期に独立してやっていかねばならないのか、と自分に問いかけ続け、なかなかその悩みに決着をつけることができずにいたのです。 一方、日頃の言動から家内は私が秘かに独立することで悩んでいるのではないかと察していたようです。
今でも忘れませんが、昭和53年12月末、年末年始の休暇に入った初日、私は「日経を辞めて独立したい」と初めて家内に打ち明けた時のことです。 「あなた、乞食になる覚悟があれば何でもできるわよね」と妻は決心したようにつぶやきました。
私には、この言葉がずしりと胸に響きました。今でこそ、私たちの周辺に乞食を見かけることはできなくなりましたが、終戦直後、乞食の姿をよく見ていた私には、どん底の生活を連想せざる得なかったのです。それ相応の気持ちは持っていたつもりですが、まさか乞食までという覚悟は、そのときまでは考えていませんでした。それだけにこの妻の言葉は、その後の私にとって大きな支えになりました。
あれから、もう38年経ちました。妻と手をとりあって必至に生きてきました。会社に依存できない生活。だから一日もおろそかにできない厳しい毎日を、なんとか切り抜けてきました。
そして得た結論は、世間とは何と温かいところだろうということです。裸一貫で飛び出した男に、手を差し伸べてくれる善意の人々に満ちているのがこの世の中だと思います。さらに嬉しいことには、積極的な思考や意欲ある行動が、自分を変えていくことを、私自身が日々の生活の中で実体験できたことです。
独立独歩の人生をずっと貫けたのは、世間の温かいご支持があったからです。私が事業を持続していくには「顧客の創造」が必須であると言ってきたのは、この世間の支持が得られるような生き方が大前提となることを指しているのです。
私も44歳で21年間勤めた銀行を退職した。これはと言った大層な理由があったわけではないが、四十路を過ぎた頃、私が携わっていた事業法人新規開拓営業で親しくなった、一人ならずの中小企業経営者の方々から盛和塾塾長の稲盛和夫さんをご紹介いただいたことがきっかけだった。
たった一度の人生だ。私がこの世に生まれてきた使命は何か。生まれてきた使命を果たさずこの世を去ることはこの世に送り出してくれた神か天か宇宙か、彼らちに対する冒瀆ではないか。若気の至りもあって銀行を飛び出したのは、田中先生の思慮深さとは雲泥の差ではあるが、想いは同じものではないのか。 稲盛和夫さんは勿論のことだが、田中真澄先生の講演やご本は、30代前半の人事教育部のおりからよく存じており、その影響も多分にあったと思う。
カリスマ経営者の稲盛和夫さん、ご自身は凡人と仰る田中真澄先生。彼らの生き方を私なりに咀嚼して後半生を生きていこうと思ったのだ。メロンはメロン。トマトは決してメロンにはならないが、私なりのトマトらしい生き方をしようと思う。 そんなことで、田中先生のご本は私の生き方そのものに直結するのだ。
銀行を辞めて22年以上が経った。銀行に勤めた21年を超えた。まだまだ四苦八苦の毎日だが、私の白秋と玄冬の時代は漸く総天然色で見えてきている。
明日死ぬと思って生きよ
永遠に生きると思って学べ
ガンジーの箴言だ。
精一杯生きるのだ。明日死んでも後悔しないように生きるのだ。
学んだことは永遠に生きて役に立つと思って学ぶのだ。
明日死ぬかもしれない。120歳まで生きるかもしれない。どっちに転んでも後悔はしないことだ。
今日は高崎駅中ののメトロポリタン高崎で東大群馬地区同窓会の『群馬銀杏会』があり、幹事として出席した。最後は締めの「ただひとつ」のリードとエールは私の役割だ。群馬県には住んだことも勤めたこともないが、石原信雄先生(元内閣官房副長官)のご縁で幹事を仰せつかっている。
大学のクラスメートの城さんも出席していた。彼は65歳で全農を退職し、現在は年金生活をエンジョイしている。週に3回はゴルフだとか。同じくゴルフ仲間がいるのだそうだ。サラリーマンを辞めて人間関係の煩わしさがなくなってストレスはなしだそうだ。私だったらそれがストレスなのにと思う。ストレスの感じ方は人それぞれ、十人十色だ。それぞれのストレス解消法を見つけたらいい。私はOUEN&Mapのボランティア&ビジネスでの老若男女の人たちとの付き合いがストレス解消の特効薬なのだ。
小林 博重