天皇陛下はひと時の休みもなく国民のために祈っておられる。日本で一番仕事をなさっているお人だ。
仕事とは何かと考える。
仕事について考えるとき、私はいつも武田鉄矢さんが歌う『母に捧げるバラード』の台詞を思い出す。
行って来い。何処へでも行って来なさい。母ちゃん、お前のごたぁ息子がおらんごとなっても何もさびしうなか。が、いうとくがなぁ、なまじ腰ば降ろして休もうなんて絶対思うたらつまらんど。死ぬ気で働いてみろ、テツヤ、人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死ね、それが人間ぞ。それが男ぞ。お前も故郷を捨てて都へ出ていく限りは、帰ってくるときは輝く日本の星となって帰って来い。行って来い。行って来い。
フランスに『ノブレス・オブリージュ』という言葉がある。「高貴なる者の義務」だ。最近では主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。ノブレス・オブリージュの核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理だ。もちろん法的義務ではないため、これを為さなかったことによる法律上の処罰はない。
日産の前会長であるゴーン氏は裁判で徹底的に争う姿勢を示しているが、法律上では無罪となったとしてもフランス人として「ノブレス・オブリージュ」から完全に反しているのではないか。 これは多かれ少なかれ、世の政治家や経営者にも言えることだ。
私は高貴なる者ではないが、心は高貴なる者でありたいと思う。その矜持があってこそ、私は人間として生きることができるのだ。
日本国憲法は、下記のようだ。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
経営者は社員が家族のようなものだ。私は会社は大家族主義を以って経営することが最善最高の経営だと思っている。家族としての社員を守るのが経営者の最低の義務ではないか。日本国憲法第25条はそれを言い表している。
経営者はそのために「高貴なる者の義務」を果たさなければならない。働いて、働いて、働き抜いて、一度でも遊びたいとか休みたいとか思ってはいけないのだ(これは心の問題であって、もちろん、経営者は仕事に疲れて眠りたいとか、少し休んで英気を養いたいとか思ってもいい)。
天皇皇后両陛下は、そのようなお気持ちで国民のことを考えていらっしゃるのだろう。
不肖小林も、そのような心で以って、これからの我が天職に誠心誠意努めたいと思うものだ。
小林 博重
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