今日は憲法記念日だ。新聞では与野党が改憲か護憲かでそれぞれが自らの主張を繰り返している。
憲法は何のためにあるのかといえば、全ての国民が幸せな人生を送るためにあるのだ。それぞれの政治信条があっての主張なのだろうが、私などは皆んなが虚心坦懐に議論を尽くせば自ずといい憲法に収斂していくのではないかと思うのだが。
憲法の生い立ちがどうだとかは枝葉末節なことだろうし、憲法が制定されて70年以上経っており、その時代の変化は制定当初とは隔世の感があるにも関わらず、全てを変えてはいけないとする固陋な考え方に固執することも何が国民のためかと思ってしまう。所詮、現在の政治家は下らない人種と思っているのは私だけではないだろう。
今日は午後1時から3時半までウォーキングを楽しんだ。外苑前→赤坂見附→三宅坂→半蔵門→千鳥ヶ淵緑道→靖國神社→市ヶ谷→四ツ谷→新宿御苑→青山→外苑前。約10㌖強。今日は夏日になったのか、時間帯は午後2時を挟んだ2時間強だったせいか、四ツ谷当たりで足取りが重くなってきた。暑さのせいだけではない。 歳のせいだろう。今まで何でもなかったことでも、少しずつできなくなってくる。自分を知ることだ。自己観照をして、客観的に自分の現状を知らないと正しい一歩を踏み出すことができない。
事務所に帰って、春陽堂書店社長の伊藤良則さんからいただいた「忘れるが勝ち!」(外山滋比古著)を一気に読んだ。どれだけ学んだこと、経験したことなど、記憶に留めているかどうかで秀才か鈍才かが決まる。 今までの世の中はその秀才を高く評価してきた傾向があるが、「忘れる」ことに頭を柔軟に保つポイントがあるのだと。いくら許容量が大きい頭でも限界があるのだから、頭に既成の知識が一杯では入るものも入らない。忘れて頭を空っぽにすることは豊かな発想に繋がるのかもしれない。
現に外山さんは1923年生まれの96歳だ。英文学者、評論家、エッセイスト。
忘れる頭はいい頭である。詰め込んだ知識や人生の苦悩を忘れることで生きてきた。頭の中のよけいなゴミを出して人生を有意義に生きる。 講演を聴講するときはメモを取ってはいけない。メモを取ると肝心なことが頭に残らない。
1日は朝起きて始まるのではなく、夜眠って(レム睡眠)、頭を空っぽにして、朝の仕事をスタートさせる。そして1日しっかり仕事をして、疲れて眠る。
そうかもしれない。私たちはどうしても既成概念に凝り固まっているようだ。そうでないと思っていてもそうなんだと間々感じる時がある。 前向きに生きるコツは「忘れるが勝ち!」にあるのかもしれない。
小林 博重
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