令和の幕が開いた。新しい時代の幕開けだ。30年前の平成のスタートとは違い、国民全てが、平成天皇に感謝申し上げ、令和天皇のご即位を寿ぐ時代の交替は素晴らしい。私も、晴々しく令和時代のスタートを切りたいと思う。
昨日は東京は雨模様。昨日買い求めた本を2冊読んで一日を過ごした。なかなか面白い。その中から佐藤愛子さんのエッセーをひとつ。
「人生は美しいことだけ憶えていればいい」(佐藤 愛子 著)
明るくて無邪気な人が人から好かれているから、自分もそうなりたいと無理して冗談を言ったり愛想をふりまいたりしても逆効果になってしまうのは、それが彼女にとっての「自然」でないからである。無理はいけない。技巧は鼻につく。その人にとっての最も自然な姿、ありのままを磨くのが一番早道なのだ。
協調性の持てない私は、自分の自我の強さを「苦労を引っかぶって元気よく生きる」という方向へ持っていった。したくない、しない、いいたいことをいわずにはいられないという我が儘を、「正直」という美徳(人によっては正直は悪徳というかもしれないが)の方へ引っぱった。
少しは生きる苦労があったほうがいい。われわれを自分自身に対して目覚めさせるような、なんらかの不安、なんらかの情念、なんらかの苦しみがなくては幸福は生まれてこない。
苦しいことができた時、逃げようとすればもっと苦しくなりますよ。困難は逃げないで受け止める方が楽なんです。
人生は理屈じゃない。損得を考えるような人間は下司野郎。
楽しいつき合いというものは、ありのままの自分を見せ合うことのできるつき合いである。そのためには時間をかけて、何でもいい合え、何を聞いても驚かず、理解と信頼を深めていなければならないだろう。
人には負けるとわかっていても、闘わねばならない時がある。
ほんとうの魅力というものは機微に属するものなのである。ハウツーで身につけるものではなく、その人のキャラクターと人生経験の多寡によって自然に醗酵して身につけていくものであろう。
悲しいことは忘れなさい。人生は美しいことだけ憶えていればいい。
波瀾に明け暮れた人生でした。でも、苦労したとは思いません。この世に起こることは、すべて修行だと思えばいい。力一杯生きて、「ああ、面白かった」と言って死ねれば、それがいちばんじゃありませんか。
佐藤愛子さんのエッセーを読んで「人生に対する覚悟」を思った。やはり、覚悟があるとその人間の生きざまが美しくなる。美しいことは逞しいことだ。強いことだ。
レイモンド・チャンドラーの箴言を思い起こした。
「逞しくなければ生きて行けない。優しくなければ生きている資格がない」
これからの令和の時代を、逞しく、美しく、生きていきたいものだ。
小林 博重
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