昨夜は片町2丁目の小料理屋「富来」で、春の山菜や海産物と美味なお酒を堪能した。
富来は奥能登の海辺の町の名で、私が生まれた中能登町と隣接している。松本清張の「ゼロの焦点」のラストシーンにもなった能登の巌門がある町だ。 ご主人は若い頃、海外航路の船乗りで、船内の厨房を仕切っていたらしく、料理の腕は抜群だ。女将さんは金沢の人で、金沢弁が心地よい。 昨年の11月以来だが、年賀状もいただき、私の顔も覚えていらした。焼酎のボトルもまだあった。
金沢で能登を思い出す。ふるさと能登に帰ったようだ。人はこんなことで感激感動する。単純で複雑な動物だ。
今朝は、5時に目覚めて、犀川縁を上流に向かってウォーキングした。1時間上ってUターンして返ってくる。
4月早朝の犀川縁は、まだ肌を刺す冷たさを感じる。体の芯がピリッとする。5時では人は疎らだが、6時過ぎからウォーキング、ジョギングを楽しむ人たち、ラジオ体操をする高齢者の人たちで、河川敷は賑わう。 北陸の小京都とも呼ばれる金沢だが、そうではない。金沢は金沢で北陸において独自文化を築いてすくっと立っている。金沢にはプライドがある。そんな街だ。
人生100年(私個人は120年)を考える。その半分以上が過ぎたが、後半分近くが残っている。世のため人のために尽くさなければならないと思う。そのために何よりも健康に留意しなければならない。これは意を以て拘る、人生後半戦に必須なテーマだ。 ウォーキングも「世のため人のため」なのだ。私の身の周りに起こることに対することは、世のため人のためにどう処するかということだ。 人生の大望はその想いがないと成し遂げられない。
小林 博重
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