人との距離感のことを考える。その距離感を間違えると時にはとんでもないことになる。常識がない人だと思われてしまう。
親しい人からよく言われることは、
「小林さんは人の懐にズカズカ入っていってしまう。ちょっと吃驚してしまうが、それでどうしてか人に嫌われない。ズバズバ思ったことをサラリと言うが、それが他の人だと嫌われてしまうようなことでも、相手には嫌われないんだなぁ。本当に特なキャラクターだと思う」 と。お誉めの言葉として聞いているが、そこには私なりの、その人に対する「感謝と謙虚」の気持ちがあるのだろうと自己分析している。
だから、当然ながら、初対面の人やまだ気心が分からない人には、そのような懐に飛び込むようなことは言わない。というか、その人の懐がどんな広さなのか分からないからだ。小さな懐なら入ることはできないから。
私は日々進化成長していると思う。若いメンターには「小学生から高校生に二段飛びした」と言われたが、まだ、大学生にはなっていない。いつになったらなれるのだろう。その先には社会人があるのだから、先はまだまだ遠い。
距離感は人によって様々だが、相手の人が嫌悪感を持たないものでなくてはならない。相手が思う距離感より遠いと人間関係は深まらないし、人脈も拡がらない。近すぎると、相手は仰け反り、いい関係に成長しない。そこのところの感覚を体得してきたということだ。
距離感の近さはどうしても、付き合いの時間と比例するところがあると思うし、それが分かったことが私の成長だ。
妻との出会いを考えると、私の距離感の非常識さで結婚に至ったのだが、それは結果オーライであり、決して人に勧められるものではない。汗顔の至り、若気の至りのところがあり、それは今であれば「ストーカー」と言われかねないことだからだ。
「距離感は、概して比例するのが常識」とそんなことが分かるようになって、私も少し常識人になったと思っていたが、そうではない。それでは何の変哲もない没個性の私に成り下がるだけだ。
純粋で素直な真っ直ぐな心の人との触れ合いは、その心が私に伝染する。その伝染は時間ではない。光以上のスピードで伝染するものだ。
それは突然やってくる。妻との出会いも奇跡と思ったが、安藤裕美さんとの出会いも私には奇跡だ。それは私が生まれてきた意味、天から与えられたミッションを再確認させてくれたことだ。
OUEN Japanの事業を果たすことは私のミッションだが、もう一つ、私が果たすことができなかったミッションがある。私はそれは私に与えられたミッションではないのではないかと思っていたが、安藤さんに出会いたくさんのお話しを通じて、そうではない、私のもう一つのミッションなのではないか、諦めることではないのではないかと思うようになった。そして、それが確信に変わった。これは天啓であり天恵だ。
人のために生きることは、自分のために生きることだ。なぜなら人は一人では生きることができないから。
自分のために生きることは、一番身近な人のために生きることだ。それは妻、そして心の友の安藤さんのサポートだ。それはもちろん私のために通じる。そしてもっと広く、社会のため、国のため、人類のために通じる。究極の利己は利他に通じるのだ。
小林 博重
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