究極の天職(コーリング)を追求する。

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真夜中に目覚める。まだ1時にもなっていない。もう一寝入りだ。しかし、夢のせいなのか目が冴えている。夢の残像を言葉に落としてみる作業をしてみようか。そうすれば眠気も湧いてくるかもしれない。OUENブログを書いてみようと思う。
「人生の目的は何か」と思う。この世に生まれて、ことあるごとにそのことを考えながら生きてきたように思う。
『人生=愛』なのだと思う。愛がなければ人生は実に殺伐としたものになるだろう。
「愛」はいろいろな形がある。夫婦愛、家族愛、恋人との愛、友愛、異性との愛、同性愛、祖国愛、人類愛等。仕事愛もあるだろう。
愛があるから芸術が生まれる。周りから祝福される、世間から認められる愛は幸せだが、そうでない愛は苦しい。できれば認められる愛がストレスはないが、そうでないとストレスは蓄積する。幸不幸は自分の心が決めるものだから、何が幸せかは他人は分からない。
女性の生き方は昔と比べ、実に多様になってきた。女性が自立してきたことによるのだろうが、そのため少子化という現象が構造的問題になっている。致し方ないと思うが人類にとって深刻な問題であることは事実だ。
私はOUEN Japanで学生と意見交換することが頻繁にあり、私の同年代の中では一番若者と対等に接している人間ではないかと思う。特に、OUEN塾の活動は文化的側面が強いため、女学生との意見交換が圧倒的に多い。近い将来に社会人になる彼女たちからは、当然、中身は就職に関する相談だ。私は目の前の具体的就職先の相談に乗るというよりも、もっと広く、根源的な「働き方」や「生き方」の話をする。いわば、人生論議だ。それが固まっていないと具体的就職は上手くいかないと思うからだ。
人生の目的は何だろう。私はそれは究極的には仕事なのではないかと思うようになった。仕事>愛なのではない。いわゆる仕事人間になるということではない。 「仕事か愛か」を天秤にかけて、仕事と愛を比較することではない。愛の究極が仕事になるのではないかと思うのだ。
天職(コーリング)という言葉がある。一般的にいう天職(コーリング)の究極が人生の目的なのではないか。それを見つける人はごく稀なのだと思う。そんな仕事のへレベルで愛と比較する。それは究極の天職(コーリング)との比較ではないのだと思う。
そのような究極の天職(コーリング)を見つけたいと思う。そのためには誰にも負けない努力精進が必要なのだ。
小林博重
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