ソウルメイト

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妻は時々、『ソウルメイト』という言葉を口にする。ソウルメイトをウィキペディアで調べると、下記のようだ。
ソウルメイト (soulmate, soul mate) は、soul(魂)とmate(伴侶、仲間)を組み合わせた英語の造語で、魂の伴侶のこと。
一般的には、共通の価値観や好みといった深い親和性のある相手、気性の合った人、初対面でも直感的に懐かしさを感じる人、ロマンチックな結びつきのある相手、運命の伴侶、特別な恋人、相思相愛の相手、互いに深い精神的な繋がりを感じる大切な人、深い縁を持つ人などを意味する。
『ソウルメイト』とは、「気の合った友人」とか、その上を行く「親友」のレベルではないだろう。それは別の言葉で言えば『心友』と言えるレベルだ。
人生に於いて、プライベートでもビジネスでも友人の数の多寡で人生は豊かになったり貧しくなったりする。私は人と人、企業と企業を結びつけることを生業にしているから、このことは実感として腹にストンと落ちる。ビジネスであっても、そこにビジネスを超えた「人間としての信頼感」がなければビジネスは長く継続しないと考えるからだ。いわゆるビジネスライクでは本物のビジネスは成功しないし長続きしない。ビジネスはロボットではなく生身の人間がしているものだからだ。
そんな情の世界に生きている私であっても、「気の合った友人」はこと欠かないし、「親友」も多数いるのだが、こと『ソウルメイト』は66年生きてきたが、これはという巡り会いはなかったように思う。親友と心友は違うからだ。
ソウルメイトは、同性か異性かを問わないだろう。お互いの足らずをお互いが補う合うことで、バランスが取れた球体のような「できた人格」が形成されることもあるだろうし、お互いを分身(一心同体)と思い、足らずをそれぞれが持っている信頼できる親友たちの協力を得ることによって、球体の組織のコアになることもあるだろう。いずれにしても、ソウルメイトは生涯に現れるかどうか、そのような極めて低い確率の世界なのではないだろうか。
松下幸之助さんは、事を成すには経営哲学、経営理念、志があることが絶対条件と説かれた。そのコアにはカリスマの人格か、そうでなければお互いをカヴァーしあって形成される疑似人格が不可欠なのではないか。
ソウルメイトに出会えた喜びは何事にも代えがたいものである。
小林 博重