私の応援哲学=人生哲学

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昨日は北九州の企業と北九州市、北九州市立大学を訪問した。OUEN塾の2月開催の報告と来年のお願い、およびご意見拝聴だ。皆さん、好意的な反応で、次回のOUEN塾、新しい深掘りのOUEN塾にますます力が入る。
ところで皆さん、口裏を合わせたように「小林さん、どうして福岡でOUEN塾をされようと思ったのですか。ありがたいことですが、どんな利があってこのようなボランティアをしているのですか」と聞かれる。 月の半分はボランティアで福岡・北九州と金沢に出向いていることで、生活の糧はどうしているのだろうと思われるのだろう。
東京にいる半分で稼ぐ活動はしているが、なんだかんだでやりくりは大変だ。妻にも迷惑をかけているのが本当のところだ。それを許してくれている妻には感謝しかない。
なぜ私はこんなことをしているのか。
それは私自身のためだ。私の心を満足させるためだ。その意味では、私の行動は「利他」から発しているものではないとはっきり言える。 これは私なりの理屈である。
「生きとし生けるものは自分が生きるために生きている利己的生物だ。人間も同様、自分が幸せになるために一生懸命に生きている。では、幸せとは何だろうか。人それぞれ幸せ感は違う。お金が全てという人もいるだろうし、人のために尽くすことで幸せを感じる人もいる。私の場合、自分を滅してまでも人のために尽くすことはできないと思っている。まず自分があり、余裕ができたら人のため。しかし、お金はいくらあってもいい。際限がない。そんなことを考えると、お金は幸せの基準にはならない。幸せはその人の心が決める。相田みつをさんもそう言っている。 では、私の心はどんなことを幸せと感じるのだろうと考える。ちょっと人が喜ぶことをする。人はありがとうと言ってくれる。
私は大学で応援部と言う、体育会のようで体育会でない、ちょっと不思議な部に入っていた。私にはとても居心地がいいウェットな人情味あふれる団体だった。私の時は圧倒的に神宮球場の東京六大学野球の応援だった。東大はセミプロの他の5大学が相手ではなかなか勝ち目がない。最下位が殆どだ。いくら応援しても応援の力で勝つことはないだろう。応援で野球を勝たせるなどとそれは思い上がりだ。
しかし、なぜか今日は勝てるのではないか、しっかり応援すれば勝つのではないかと思ってしまう。そんな気なるから不思議だ。野球部の選手たちは「弱い野球部を応援してくれてありがとう」と言う。応援の声援でヒットを打ったと言ってくれる。こちらはそういう言葉を聞くとありがとうと言う気になる。もっと一生懸命に応援しようと思う。応援はまさにキャッチボールだ。
人の喜びを自分の喜びにする。人が喜んでくれるとこちらはもっと喜んでくれることをしたいと思う。幸せは自分の心が決める。人が喜んでくれることは自分の幸せだ。応援とはそんなものだ。利己は利己でも極めれば利他に通じる。応援とはそれを気づかせてくれた。自分のためは人のため。それが応援=OUENだと。
私は大学の時よりも応援=OUENをしていると思う。それは自分のためにだ。それが私の応援哲学だ。
小林 博重
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