人生は奇跡の連続だ。

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「奇跡」 さだまさし
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない
けれどあなたを想う心なら 神様に負けない
たった一度の人生に あなたとめぐりあえたこと
偶然を装いながら奇跡は いつも近くに居る
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
今日と未来の間に 流れる河を夢というなら
あなたと同じ夢を見ることが できたならそれでいい
僕は神様でないから 奇跡を創ることはできない
けれどあなたを想う奇跡なら 神様に負けない
ああ大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい
あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい
ああ大きな夢になりたい あなたを包んであげたい
あなたの笑顔を守るために多分僕は生まれてきた
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
どんなにせつなくても 必ず明日は来る
ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない
人生は奇跡の連続だ。
精子と卵子が巡り会って人間は生まれる。数十億から数百億の精子の中から卵子まで辿り着くのは数十万から数百万だという。当に10万分の1の確率だ。その中から立った1つが卵子と合流する。それは数十万分の一、数百万分の一の確率になる。これは奇跡と言わずして何と表現できるだろうか。
人間として生まれて、1人の異性と巡り会い、結婚に至るのは、人類60億、適齢期の人間は20%としても、60億÷2×0.2=6億だ。6億分の1の確率で、結婚相手と巡り会うのだ。当に、奇跡の連続の中に人間は生きている。
その底辺に流れているものは、愛であり夢ではないか。男と女の情愛を超えた、人間への愛だ。愛があってこそ人は人になるのだ。
人生を明るく前向きに生きていこう。自分は決して独りではないのだから。愛すべき家族があるのだから。愛すべき仲間がいるのだから。
人間は独りでは生きていくことができない。自分の夢を実現するためには、その夢が大きければ大きいほど、独りで夢を達成することはできない。そこには人為的な組織が不可欠だ。さまざまな組織があり、そのトップの考え方によって、組織の在りようは千差万別だ。私の場合、私が創り関わる組織は大家族主義の温かい血の通った組織だ。
昭和の時代、「大きいことは良いことだ」というチョコレートのコマーシャルがあった。小よりも中を、中よりも大を目指すことが成長の意味だった。
では今生きている21世紀はどうだろうか。
「大きいことは良いこと」ばかりではない。鬱病の蔓延、生甲斐や働き甲斐の欠如等、人間疎外の世の中が益々現実のものになってきている。ともすれば没個性の時代だ。私が考える21世紀の理想の組織は、一つの組織に属し、パワハラやセクハラで雁字搦めになってストレス蔓延の組織ではなく、緩やかな関係でありながらも強固な人間関係ができた温かい組織であり、その組織に所属している個人それぞれの得手・得意技を磨くことによって、その得手を発揮して組織に貢献する、人間的な組織だ。
勿論、組織であるからトップ、参謀、部下という役割分担はあるが、平等な人間関係だ。働いた分だけ、貢献度に応じて報酬を取る。みんな独り立ちできる得手を持つことだ。人に頼りっぱなしではよくない。しかし完全成果主義ではない。みんなで助け合う互助的なウェットな組織でないと人間疎外になってしまう。そこのさじ加減が難しいところだが。
私はこの組織の在りようを東大応援部で学んだ。それを私が団長をしているNPO【OUEN Japan】で実現したいと思っている。そのような心ある若者を、彼らと共に、私も学んでいきたいと思っている。そしてそれは私の生涯現役のベースでもある。
私は銀行には入りたくなかった。ちょっと勉強不足で中央官庁をドロップしたことで、応援部時代にお世話になっていた、安田信託銀行に勤めていらした先輩の紹介で安田信託銀行の人事部を訪ねた。私は正直に、「銀行には入りたくない。自分は銀行員には向いていないと思う。安田信託銀行は銀行でしょう?」と質問した時の驚きの回答が私に入社を決意させたのだ。人事担当者の方は、「信託銀行は小林君の思っている銀行ではないよ。銀行のトップは頭取と言うが、信託銀行は社長だ。それが一番分かりやすい銀行と信託の違いなんだ」と。
とんでもない回答だ。信託銀行は、当時は貸付信託と言うヒット商品や金銭信託という銀行預金もどきの商品があった。勿論、銀行と名が付く以上、銀行預金も扱っており、法人や個人に銀行と同じく融資もしている。違うのは建物信託や土地信託、証券代行、不動産等、信託銀行ならではの業務があることだ。
しかし、私にそんな回答をするよりも、私の感性に訴えかける「人間安田」をアピールされたのだろう。それで、私は就職を決めた。
妻も同様なものだ。野村証券と安田信託で、安田の人間性に惹かれたのだとか。こんな人たちが人事採用をしているのか、と思った(私もその7年後にはその人事担当者になったのだから、人のことは言えない)。私でも勤まると思った。
妻とは出会って1か月後にプロポーズしたが、それもこの人ならと、私独自のインスピレーションだ。子どもたちには「お父さんは今ならストーカーだな」と言われたが、まぁそんなものだ。これも奇跡だ。
彼女はよく私と結婚してくれたし、40年間の長きに亙って続いてきたものだと思う。人さまには、「小林には過ぎた奥さんだ」と言われるが、それは認めざるを得ないところはある。私も過ぎた夫だと思われるところがあると思うのは、自分を買いかぶりすぎか(客観的に自己観照することの大切さを最近になってようやく分かってきたので、あまり生意気なことは言えない)。
また、安藤裕美さんとの出会いも同じく私のインスピレーションだ。私の三男よりも歳下。まるで娘のようだ。私には娘がいないから、突然娘が目の前に現れたようで嬉しい。
彼女とは同じ稲盛和夫ファンだということもある。真っ直ぐ、正直、熱血漢(漢ではない。お嬢さん)。生きる哲学や経営哲学を真剣に学ぼうとしている。その純粋さに大いに刺激される。
※「士は己を知る者の為に死す」(しはおのれをしるもののためにしす)という言葉がある。
男子たる者は、自分の真価をよくわかってくれる人のためには命をなげうっても尽くすものだとの意だが、21世紀は女性の時代だ。OUEN塾では、OUEN学生リーダーが頑張ってくれているが、その8割は、見目麗しい女子学生だ。女子学生が男子学生をリードする時代になったとつくづく思う。その意味でも、士は男子だが、士を女性と置きかえる時代になったのだと思う。
私の人生のモットーは、「人と共に育つ」だ。若者と共に育ち、生涯現役を貫くことだ。教え育てる「教育」は上から目線で少しおこがましい。共に育つ環境を、私が関わる組織の中で創っていきたいと思う。
小林 博重