1週間の福岡・北九州出張を終えて福岡空港で20時発JALに乗る。まだ17時前。2時間はゆったりとお酒と夕食のひと時を過ごす。充実した1週間だった。疲れは心地よい。人間はやはり仕事をしなければ人間に生まれた楽しみや喜びは感じることができないと思う。私は決してワーカーホリックではないが、社会に貢献している人生でなければ生きている価値がないと思う者だ。そうでない人たちは山ほどいるが、まだ私は「生きているだけで価値がある」という達観した気持ちにはなれない。まだまだ修行が不足しているのだろう(いつかはその心境に達することになるのだろうが)。
私の周りに人は集まり、そして去っていく。
「来る者は拒まず。去る者は追わず」という諺があるが、これは淡々とした心境を持っていないと結構ストレスになるのかもしれない。私は人好きであるがゆえに、今まで人間関係では失敗することに事欠かなかった。それは、どうしても人との関係を先方が思う以上に近い存在と思う性癖があった。それは人によっては暑苦しい。もっとそっとしておいてほしいと思う。ありがた迷惑なのだ。
心は期待していても、たとえ期待外れでもがっかりしない。淡々とした水のような人間関係が長続きするのだろう。最近そのように思うようになった。といっても冷めたというのではない。私はいまが人生で一番心が燃えている充実した時代のように感じている。人との関係は熱を持って、しかしさらっと淡々と水の如く付き合う。 利他と利己は相反するものではなく、それは極限になれば一致するように、人間関係でもさらっと淡々とであっても、その中に熱い想いがある人間関係が理想なのだ。
天はその人に克服できない困難を与えることはないという。克服できないとすれば、想いが熱くないだけだ。誰にも負けない努力をしていないのだ。できないことを人のせいにしているだけだ。全て自分のせいなのだ。 人間の性は善であるが弱い。楽な人生を送りたいと考える。少ない努力で多くの利を得ようとする。姑息な考えを持つ。
その人間の弱さを克服して努力する。人には負けない努力をする。そして性を努力で強くするのだ。
そうすると人は優しくなる。そして、人を許すことができるようになる。
ガンジーは言っている。
「弱い者ほど人を許すことができない。許すということは強さの証だ」
私はそんな強い人間ではないし、まだまだ幼子の域から脱していないが、若い時より格段に成長したと思う。それは自分の弱さや能力や人間のレベルを客観視する素直さを持っているからなのだと思っている。120歳を生きるとしても、それでも半分以上生きているわけで、春夏秋冬では白秋の時代を生きているのだ。私の白秋はあと30年余りと思っているが、悔いのない白秋を全うしたいものだ。
小林 博重
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