柳生家の家訓
小才は縁に会っても縁に気づかず
中才 は縁に気づいて縁を生かさず
大才は袖触れ合う縁をも生かす
私がこの家訓を知ったのは、田中真澄先生の講演だ。人脈をビジネスにするというとちょっといやらしいが、人は人との繋がりで生きているのだから、何よりも人とのご縁を大切にしなければならない。
「人はその人の人脈の上で生きている」というのは全くの真実である。特に私は、私が持っている「人の役に立てる、いわば『売れる商品』は私が培ってきた人脈だけなのだから、人がお互いに喜んでくれるものに加工して活用することは決していやらしいことではない。むしろ、私にしかできない貴重な商品なのだ。
やっとそのことが堂々とできるようになったのは、OUEN Japanのボランティア活動を5年以上に亙り地道にコツコツと続けてきたからなのだ。
最初は成り行きでOUEN Japanを設立したというのが偽らざるところであるが、「このNPO活動は私に神が与えたミッションだ」と思い込み、そう言い続けていると不思議なことにそれがだんだん本当になってくる。その意味でも「有言実行」は弱い人間にとって強い人間に変身していく魔法の言葉のように思う。
そんなことが私の血肉になっているものだから、私とフィーリングが合うというか、同じグループソウルと私が感じた人には、柳生家の家訓を話している。
やはり同じグループソウルなのだろうか、この「柳生家の家訓」の意味するところに感じて、座右の銘として大切に思ってくれる人がいることは私にとってとても嬉しいことであるし、その人たちを私は大切にしていこうと思う。 その人たちとは、フォトグラファーの崔(チェ)さんとレストラン経営をしている安藤さんだ。
崔さんは彼女のブログに書いてくれたし、安藤さんからはそのようなお手紙をいただいた。とても嬉しい思いだ。人間はこのような心の琴線に触れることがあるとますますその人を大好きになるものだ。それが貴重な人脈になるのだと思う。
感動とは感じて動くことだ。感じないと行動しない。理屈で動く理動という言葉はない。
「想い」とは思いが強烈になって湧き上がるものだ。人は想いを持って行動するとネバーギブアップ精神になって事をなすことができる。思いを想いに変えるのだ。それは「感じる」行為があってはじめて変えることができる。
人生とはどれだけ多くの感動があるかによって豊かになるか、そうでないかが決まる。感動のない人生は実につまらない。NHKのチコちゃんの説では、「人間、大人になるにしたがって日々感動することが少なくなってくる。感動が多いと人生は長く感じ、豊かになる。感動のない人生は短くつまらない」のだとか。分かるような気がする。感動が多い人生を送りたいものだ。
小林 博重
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