性弱な人間が精進努力して『応援』を極める。

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なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない
いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを 暖めうるかも知れない
なぜ生きていくのかを 迷った日の跡のささくれ
夢追いかけ走って ころんだ日の跡のささくれ
こんな糸がなんになるの 心許なくて ふるえてた風の中
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布はいつか誰かの 傷をかばうかも知れない
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます
この『糸』は恋人や夫婦の結びつきを歌った歌だが、この糸の関係は人間関係全て、ビジネス全てに通じる。特に、私が代表をしているMapやOUEN Japanは人と人を繋ぐビジネスやボランティアだから、そのことは提供する商品やサービスの優劣にも増して重要なウェイトを占めている。極端なことを言えば全てと言ってもいい。
日々、私のもとにビジネスに関することでさまざまな人たちがアクセスしてくる。おれおれ詐欺ではないが、世の中の人は全てが善人ではない。性善説と性悪説があるが、私はもう一つ性弱説があると思う。
私が定義する“性弱説”とは、人の性は基本的に善ではあるが弱いものだということだ。弱いがためにそれを克服しようとして人は精進努力するのだ。誰にも負けない努力をするのだ。そして性は強くなるのだと思う。
精進努力して人間を磨かないと、性は悪に染まる。自らの性弱を悟って、自己観照して、自分の得手不得手を認識することで、自分の不得手分野をカバーしてくれる信頼できる人とパートナー関係を作り、夢の実現に邁進することができるのだと思う。
性弱ではあるが、心が清い性善な人でないとパートナーにしてはいけない。いくら能力が高いと思っても、そのような人とパートナーになれば足を引っ張られることになる。その見極めが肝である。
辛酸を舐めてきて少しは見極めがつくようになったがまだまだ不充分だ。その克服は、素直になること、絶えず生まれてきた意味すなわちミッションに立ち戻ることだ。
今日から8日(金)までの4泊5日で福岡・北九州に出張する。福岡は私の第2のふるさとになった。日本で一番元気な県のような気がする。
私は福岡の地域活性化に貢献したいと思っているが、逆に福岡から元気をもらっている。これも応援=OUENの双方向の応援合戦なのだろう。応援とは片務的な行為ではなくお互いさまの双方向行為だ。
私は40年以上前に大学で応援部に所属して主に神宮球場で大学野球の応援に精を出していたが、それから40数年間、応援の本質を追求(追究)してきた。そして今になってようやく応援の本質が分かってきたような気がする。応援の3合目というところか。生涯を掛けて『応援哲学』を極めたいと思う。応援とは奥深い行為であるのだ。
小林 博重